『Long Voyage』[DISC REVIEW]
七尾旅人
COLUMN
![『Long Voyage』[DISC REVIEW]](https://beavoiceweb.com/wp-content/uploads/2022/09/longvoyage.jpg)
日々刻々と変わる世界と繰り返される人間の業の因果のなかで
さまよわざるをえない“私”を導く羅針盤
2枚組全17曲を収録した大作だが、過去には『兵士A』『911FANTASIA』といった規格外の大作を紡いできた七尾旅人である。収録曲のほとんどが前作『Stray Dogs』リリース(2018年末)と全国ツアー後のパンデミック渦中で産まれた楽曲たちであることを思えば、ごく自然のことなんだろう。『Stray Dogs』リリースの際のインタビューでは、すべての作品制作に際する過程をこのように話してくれていた。
「頭で考えて構築していかないといけない部分もあるけど、それよりも優先させるのは無意識。止むに止まれず、どうしても血のように流れてきてしまったもの。切った手から血が出て重力に従って落ちて、凝固して茶黒くなる。そういうことの集積しか僕は信用してない。ただ、血が流れたんですってことだけだとあまりにプリミティヴに過ぎる。感情の塊でしかないというものにはしたくないんです。だから自分にとってどうしても必然性の高かったものを曲にして、そういう曲が何曲も溜まった時点で客観的にディレクションしていく」
ひとりの人間として現代社会と対峙し、シンガーソングライターとしてその解毒剤であるべき音楽を創造する。詩人の言葉、ネイキッドな声、卓抜したメロディセンスをもって、さらに尖鋭的なサウンドプロダクトを徹底して。だから、七尾旅人の歌はいつも強く求められてきたのだ。
ピアノとコントラバス、ギターが呼応しあうジャズ・フレイヴァーのインスト『Long Voyage「流転」』をプロローグに、気心知れた異才の音楽家から現代ジャズシーンを牽引する俊英まで過去最多のゲストプレイヤーとともに、七尾が念願だったというストリングスも含め豊潤なアンサンブルで、17曲をひと息に聴かせる。山本達久、石橋英子という同志とのホーム感に満ちたサウンドメイクにふたつの景色が交錯する『crossing』。前作のリリースツアーをきっかけに結成されたストレイ・バンド(Kan Sano、小川翔、Shingo Suzuki、山本達久)の暗闇ごと包み込むようなアンサンブルに、沢田譲治(ショーロクラブ)によるストリングスアレンジが施された『未来のこと』。なめらかで芳醇なソウルのスピリッツのもと、青白い火花を静かに散らす七尾のスポークンワーズに震え息を呑む『Wonderful Life』。楽曲そのものが静かな慟哭となって心を揺さぶり続ける『入管の歌』。経済の発展と人類の栄光を謳歌する行為の陰で犠牲とされてきたものを、地球をぐるりと横断するポエトリーと壮大な絵巻物のような楽曲の展開、音像の拡がりで描いた『ソウルフードを君と』……収められた17の物語はいずれも、差別、テロ、大規模災害、疫病、戦争と何百年も前から繰り返される愚行を内省し苦悶とともに昇華されたものである。それはつまり、昨年彼が一人で始めた、放置され孤立した自宅療養者のもとへ食料を届ける「フードレスキュー」の活動と、根幹を同じくするアルバムであるということだ。
本作においても七尾旅人の音楽は、“私”を決して棚上げしない。
『Long Voyage「停泊」』では、寄せて返す波のように記録と独白が繰り返される。黒人奴隷の憤怒と痛み、戦線を生き抜いた祖父の絶望と希望、陸前高田の老いた漁師の平穏と兆し、闘病中の愛犬との最後の家族旅行の幸福……ここに淡々と綴られる事象、眼前に想起される景色はすべて、彼にとって素知らぬ歴史ではないのだ。人生という航海において、“私”の一部として語るべきものから想いを逸らさず、《意図せざる航海 停泊》とひとつひとつを受け止め未来へ生かし続ける。日々刻々と変わる世界と繰り返される人間の業の因果のなかで、さまよわざるをえない者を導く、羅針盤である。(山崎聡美)
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