18歳の眼差しと意志を貫きとおした50年
忘れ得ぬ声とピュアネスは今なお輝く
山崎ハコ
取材/文:山崎聡美
INTERVIEW
“Tobimasu is a masterpiece of melancholy carried by one of the most beautiful, emotional, melodic, and haunting voices in the Japanese music.”
“Hako Yamasaki is considered a pioneer in both the creative boom and the rise of feminism of 1970s Japan.”
これは、スイスの音楽レーベルWRWTFWW Recordsよりリイシューされた山崎ハコのデビューアルバム『Tobimasu』(日本盤原題『飛・び・ま・す』)の紹介文に添えられている一節だ。山崎ハコというシンガー・ソングライター、その無比の歌への的確かつ敬意あふれる評価に思わず唸ってしまった。国内ではフォークやニューミュージックというジャンルのみで語られがちだが、サイケデリックでオルタナティヴという音楽観をもって捉えられていることの伝わる海外リスナーの反応もあり、殊更にうれしい。稀代の歌い手、そして尖鋭の音楽家である山崎ハコが切り拓いた道は、50年を経て今なお輝いているし、この先にも続いていく。
福岡でのデビュー50周年ライヴも決定した彼女に、歌とともに歩んだ道程、公私にわたるパートナーである安田裕美氏への思い、大きな喪失を超えた現在地を訊いた。
──安田裕美さんを見送られて、4年が過ぎました。2021年の一周忌には安田さんがギタリストとして参加された楽曲や編曲を担われた楽曲を集めた作品集がリリースされましたが、こちらは全てハコさんがセレクトされたんですよね。
ハコ:そうですね。一年かかってようやく出せました。ジャケット用の写真を選ぶところから始まって、でも全然進まないの、写真を見てるとどうしても泣いてしまうから。それでも、おこがましいけど、どうしても作ってあげたいと思っちゃったんです。最後の……最後の花道として。安田さんは、(ミュージシャンとして)表に出るタイプの人じゃなかったし、それ以上に“俺の仕事はそういう仕事じゃない”という意識が強かった。
──裏方的というか。
ハコ:(井上)陽水さんの横にいつも居ても、ソロで弾いたりはしない。ずーっと、陽水さんありき。陽水さんが居て自分が居るということが当然で、それが自分の仕事ってずっと思っていて。だから全く顔も出ずとも、シングルなんか名前も出なくても、慣れてるの。アルバムは名前が出てありがたいよね、って、安田さんはずっとそういう感じだった。
──職人ですね。安田さんの奏でる音と同じく、お人柄も。
ハコ:そう、職人なんです。だから、音をちゃんと録ってくれないと怒る。職人だからそこの融通は利きません(笑)。そういう姿をずっと見てきて……それで、亡くなってからも裏方の人間だからっていうのが本当にもどかしくて。ならば、私がやる!って。妻として、一緒に音楽を作ってきた仲間として、きっと本人はそんなことやめろって言ったと思うけど、私はやる、死んじゃった貴方の意見はもう聞きません!みたいな感じでした(笑)。
──リスペクトと愛の詰まった選曲、収録の許可を得るのもハコさんがご自身で?
ハコ:全部やりました。レコード会社や事務所の権利の問題をクリアして許諾を得る必要があったので、私じゃなかったら難しかったと思います。『ニュー・シネマ・パラダイス』は、エンニオ・モリコーネさんと安田さんの命日が同じ(2020年7月6日)という縁もあって許諾に漕ぎ着けました。あと私は、陽水さんの『あどけない君のしぐさ』のギターが好きだったので、「これ聴いてよ~」みたいな気持ちで選びましたね。安田さんのギターには性格が出ててね、やさしーいんですよ。やさしいギター少年がそのままこうなりましたっていう感じ(笑)。安田さんは、歌が好きなのね。ライナーノーツにも書いたけど、小椋佳さんとやってるときも、陽水さんとやってるときも、ものすごく面白かったって言うんですよ。歌を聴きながら「上手いなぁ」って思いながら弾いてた、って。いい声だなぁ、上手いなぁ、そう思って必死で弾いていたというのは、歌を聴くことが好きだったということなんですよね。
──ハコさんの歌に対しても、そうだったのでしょうね。
ハコ:そういうことなんですよね。それは本人に聞くまでもなく、わかります。歌を聴いて、歌に合わせて弾いてるのがわかる。私のほうをずーっと見て弾いていますから。
──それは、単にメロディーや音程を聴くのとは違うものですよね。
ハコ:違います。歌の感覚を聴いていて、自分がその歌に合わせていく。決して歌の邪魔をしないように。だから、この『ギタリスト安田裕美の軌跡』という作品で、そんな安田さんのギターの音、誰が弾いているのかを知らなくても多くの人が一度は聴いたことのあるあのギターを弾いていたのは、この人だったんだよ、っていうのを言いたかったんですよね。
──安田さんの軌跡を見事に形にされて、ハコさんご自身は50周年を迎えられます。
ハコ:そうですね。安田さんを見送ったときはもう終わりだなと思いましたけど……(歌手を)やめようという気はないけど、もう歌えないんじゃないかというか……緞帳が下りたんですよ。もう一度緞帳を上げても何もない、潮が引いてるから。そこから歌を創る気力は、あのときはなかったような気がする。コロナ下でライヴもできない頃だったしね。それでも、一周忌の送る会では歌おうと決めて。安田さんが弾いた音源で、カラオケのようにして一緒に歌おうと。『縁―えにし―』以降のアルバムは自宅で創っていたので、オケが全部手元にありますから。やっぱり、ファンも、私も、安田さんの音を聴きたいんですよね。ただ、安田さんの音を聴くと泣いてしまうという状態から抜け出すのには時間がかかりました。でも、少しずつわかってきたんですけど、私はライヴ中に安田さんと顔を見合わせることはあまりなくて。モニターから聴こえる音だけを頼りに歌っていたんですよね。音で存在を確かめていた。私たちは音楽パートナーだから、音があるっていうことは居るっていうことなんだ、と。安田さんの音はあるのに安田さんは居ないんだっていうので泣いてたのが、今は、音があればいいじゃん、というか。居るとか居ないとかいうことよりも、音は存在しているから、それで歌うと思えるようになりました。それが楽しくて私たちはやってたんだから。
今年のライヴくらいから、一人で弾き語りをやっていたときの感覚も取り戻して。20年も安田さんと一緒で、ここぞという世界はふたりで創ってきたけど、昔はひとりでハコの世界を創っていたその感覚がよみがえってきて。たぶん安田さんも、そんな山崎ハコのファンであってくれたと思うんですよね。時々言ってたんですよ、「ハコの弾き語りのギターは俺には弾けないなぁ」「敵わないんだ」って。そんなことはないと思うけど、まあね、私は自分の歌のためにだけ弾いてるからね、って(笑)。
──ハコさんのギターは鋭いですよね。容赦なく突きつけられるものがある感じ。安田さんはそこで自分の音がどうあるべきかというのに真摯に向き合っていらしたということでしょうね。
ハコ:そうですね。だから、安田さんのギターが救ってくれている曲もたくさんある。弾き語りのときの、暗い、重いというハコの世界を、安田さんのギターがふっと軽く、聴き心地のよいものにしてくれる。その歌にあるハコの精神は変わらないけど音楽として聴きやすくしてくれて、ハコの景色が染み入っていくような感じは、理想的ですよね。
──おっしゃるように、ハコさんのスピリチュアルなエネルギーを安田さんがオブラートに包んで、聴く人の心の中に届いたときにオブラートが溶けてコアな部分が残るような感覚があります。
ハコ:それはいい表現ですね。オブラートは、(曲を聴いた)その人の熱で溶けるんですよね。その人が溶かしてくれて、飲み込んでくれているんだと思う。
──そのコアであるハコさんの初期作品は、海外でも高い評価を受けています。スイスの人気レーベルから『飛・び・ま・す』『綱渡り』がリイシューされていて、その捉えられ方が最高で。『さすらい』がレコメンドされてたりもして、もの悲しさや美しさ、エモーショナルさ、詩情に加えて、サイケやオルタナとしても評価されていることがすごくいいなと。
ハコ:あ~、そうなんだ。ロックだね(笑)。『さすらい』はジャズだしね。実は『さすらい』って、海外のドキュメンタリー映画で使われているんです、テーマ曲として。日本の酔っ払いサラリーマンたちをドキュメントしてて、そこに『さすらい』が流れてるっていう(笑)。
──すごい、アヴァンギャルドですね。
ハコ:そうなんですよ。海外で製作された自主制作映画なんだけど、私も映画好きだし、そういうインディーズのものはどこまでも応援しますね。あとね、映像の中のハコの歌っていいんですよね。私も景色で曲を創るから、お互いに喚起されるものが多いような気がします。
──インスピレーションだったり刺激だったり、ハコさんの歌が孕んでいるものは大きいと思います。
ハコ:『綱渡り』に収録されている『ヘルプミー』も海外での人気が高くて、以前イギリス在住の方から「イギー・ポップが『ヘルプミー』をラジオでかけてる!」という書き込みがあったりしました。最近は、ラップとのコラボも多いんですよ。韓国のミュージシャンなんかもよくやってるけど、わりとスローな、マイナーなメロディーにラップが入るんですね。すごくいいんです。この間、私の『望郷』が使われて。♪青い~♪の部分の繰り返しにラップが延々と入ってきて、コード進行は『望郷』と同じなの。面白いよね。
──イギー・ポップも!彼のパンク性と相通ずるものがあったんですね。ラップとの新たな共鳴も、あの『飛・び・ま・す』のジャケットのハコさんの表情、三白眼気味の眼差しの強さが、国境も世代も超えて息づいてる証のような気がします。
ハコ:あの白目がね(笑)。そういえば、私の目指しているところはね、歌にも通じるところなんだけど、子どもの白目なの。赤ちゃんや幼い子どもって白目が青いんです。目の白い部分が、実際に青く見えるぐらいに澄んでいる、あの目を目指してる。あの目で、理屈はわからなくても“どうして、戦争とか言って隣の人を殺してるの?”って聞ける、最初の純粋な疑問をずーっと持っていたいんですよ。だから、白目がいつも青いぐらいにしていたい、って思ってる。これからもずっと、茶色く濁らせたくないのは、そういうところなんだよね。
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LIVE INFORMATION
FM FUKUOKA『Re-folk』presents ⼭崎ハコ デビュー50周年ライブ ” ⾶・び・ま・す ”
- 2024年11月4日(月・休)
- 福岡・電気ビルみらいホール
- アーティスト:
- 山崎ハコ Vo&Gt
- ゲスト:田中利花
PROFILE
山崎ハコ
1957年5月18日、大分県日田市生まれ。1975年にアルバム『飛・び・ま・す』でレコードデビュー。映画『青春の門』(1981年)のイメージソング『織江の唄』をはじめ『望郷』『さすらい』など数多の名曲・ヒット曲を生み出し、2012年発表のアルバム『縁―えにし―』では日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。2014年に自選のデビュー40周年記念ベスト盤『ハ・コ・で・す 1975-2014』をリリース。2016年にはオリジナルアルバム『私のうた』、2018年には作詞家・阿久悠の未発表詩に曲をつけた『横浜から 阿久悠未発表作品集』を発表し、旺盛な創作意欲と無比の歌力を再認識させた。役者としても、瀬々敬久監督の『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)でスクリーンデビューし、比類なき存在感を発揮。昨秋には荒井晴彦監督作『花腐し』に出演、挿入歌としてカヴァー3曲を提供している。2020年7月、公私にわたるパートナーであるギタリスト・安田裕美氏が逝去。一周忌を控えた2021年6月30日、『山崎ハコ セレクション「ギタリスト安田裕美の軌跡」』をリリースした。