金はなくとも、夢だけはあった
愛すべきTwo Punksの博多青春グラフィティ

THE MODS

取材/文:なかしまさおり

金はなくとも、夢だけはあった     <br>愛すべきTwo Punksの博多青春グラフィティ

THE MODSの森山達也(Vo,Gt)と北里晃一(Ba,Vo)による共著『Hey! Two Punks The Mods : The Early Days 博多疾風編』が11月25日に発売された。これまでも、周年ごとにいくつかのヒストリー本がリリースされ、さまざまなエピソードが語られてきたが、“メンバー自らが綴った書き下ろし本”としては、おそらく今回が初。時は1970年代。まだ何者でもない若きTwo Punksが、音楽を通して出会い、絆を深めてゆく物語。といっても、シリアスな局面はほとんど無く、どちらかといえば迷走、酩酊、爆笑の日々。とりわけ、ロックで身を立てると誓いながらも、稼いだ日銭をたびたび“酒”や“焼き鳥”へと変えてしまう“バカたれ”具合は、なんとも人間臭くてチャーミングだ。果たして彼らは誰と出会い、どんな音を鳴らしながら、デビューまでの日々を駆け抜けていくのか。12月初旬、本書の発売記念トークイベントに合わせて、帰福した2人に制作秘話などを訊いた。

▲THE MODS「TWO PUNKS」(from 雨の野音)

──今回の企画は森山さん、北里さん、それから(初代マネージャーとして作中にも登場するスタッフの)角田さんの3人で飲みに行った時に始まった、とお聞きしています。


森山:うん。療養中の気晴らしにってわけじゃないけど、久しぶりに北里から連絡をもらって、一緒に飲んで。そのときの話がすごく面白くてね。だったら、それを本にしたらどう?と(角田氏に)言われて。それもありやねって。


──時は1970年代の博多。お二人が出会う辺りから、デビューが決まって東京へ行くまでの話が、まさに“疾風”のごとき筆致で、いきいきと勢いよく綴られています。


森山:それこそ、あんときはああやったねとか、ああいう人がおったよねとか。飲みの場で話したような話が次々と出てきて。


北里:その中から、まずは俺が手始めに書いてみろう(みよう)と思って、書いたら“それじゃ堅すぎる!”って、モリヤンからダメ出しをくらって(笑)。ちょっと真面目すぎたんやろうね。そしたら“俺がちょっと、お手本になるようなエピソードば書いちゃろう”って、ピラッと(モリヤンが)書いてきたのが…


森山:【苦学生?パンクスは一日にして成らず?】の部分。


北里:すごく伝わりやすくてね。すぐに情景が浮かぶような感じのような文章やった。それで、なるほど、こういったタッチなんやなと思って。それからは、そこに合わせて書いていくようにした。


──昨日のトークイベント(12月4日福岡トヨタホールスカラエスパシオ)では『オンリー・ミー』の話もされていましたね。


北里:そうそう。三谷幸喜さんのエッセイ集『オンリー・ミー』ね?あれもちょっとお手本にして。少しずつ少しずつ書き溜めていった感じやったね。


──当時の記憶は、年代ごとに?


森山:いや、思いついたまま、順不同やったね。年代順だとどうしても“抜けるエピソード”とか、“素通りしてしまうエピソード”とかが出てくるんよね。やけん、それよりもとにかく数多く、“こんなことがあった”、“あんなことがあった”、“あれはおもしろかった、楽しかった”っていうようなことをね、出していこうってことで進めました。


北里:(森山、北里、角田の)3人でグループLINEも作ったよね?グループの名前は“博多もん”。アイコンには“博多パラダイス”の写真をモリヤンが付けてくれて。


──うわ!めちゃくちゃいいですね、それ。なんだかアイコンを見ているだけでも、気分がアガりそうです(笑)。

▲博多ポートタワー
ご存じない方のために少々補足。“博多パラダイス”は、現在の福岡市・博多港ベイサイドミュージアム周辺にあった娯楽施設のことを指す。開業は1964年で、かつては遊園地やプール、温泉、宿泊施設などもあったらしい。カップルからファミリー層まで、多くの人で賑わっており、1969年からは“博多プレイランド”という名前で営業。1974年に惜しまれつつも閉業したとのこと。現在は“博多ポートタワー”のみが、当時の面影を残したままで営業中。森山いわく「俺の記憶では、たしかウルトラマン・ショーみたいなのもやりよったし、ゲームセンター的なものもあって、自分たち(子ども)にとっても“ちょっとした遊び場”やったという感じ」。設計は、東京タワーや2代目通天閣などで知られる内藤多仲(ないとうたちゅう)氏。いわゆる“タワー6兄弟”の末っ子としても知られている。


──そんな博多パラダイスのアイコンを冠したグループLINEで、やりとりをして?


北里:そう。ある程度、エピソードが溜まってきたら、今度は(角田氏ではない別の)マネージャーのパソコンにエピソードを送って、読んでもらって。


──さらに査読を重ねていったわけですね。


森山:それこそ(グループLINEの3人は博多出身だけど)彼は博多の人でもなかったし、そのぶん冷静に、俯瞰的に(文章を)見てくれてたと思うんよ。だから、そこでさらに(読みやすく)整理することができて、あれは本当にありがたかった。


北里:そういえば俺、さっきまで原稿書くのを(ペンを手に持って紙に書くジェスチャーで)こういうふうにやってたんやけど、実際にはスマホで全部、書いたんよね(笑)。


──えっ?!全部スマホで書かれたんですか?パソコンではなく?


北里:そうよ(笑)。俺もモリヤンも二人ともスマホ。ぜ〜んぶスマホで書いたんよね。


──うわー、それは大変でしたね。


森山:うん、結構大変やったよね。でも、ちゃんと自分で書いた。ゴーストライターはいませんから(笑)。

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北里:(笑)そうね、おらんね。ただ、始まりと終わりの部分の構成については(編集協力としてクレジットされているライターの)本田(隆)くんがアイディアをくれてね。俺としては【往復書簡】は正直、照れ臭いのもあるし、いまさらモリヤンに何て書けばいいと?っていうのもあって。もう“めんどくせえなぁ”とも思ったんやけど(笑)。でも、まぁ…とりあえずは書いてみるか、と思って。まずは、モリヤンと飲んだよね(笑)。で、あの日は結構、深酒したんかな?アルコールがまだ抜けきらん朝の4時ぐらいに(往復書簡を)書き出して。あとは一気に仕上げていった。


──いやー、かなりグッときますよね、あの言葉。


森山:(深く頷く)


北里:うん。あれは本当に嘘偽りのない言葉というか。自分でも、書きながら、少し泣いたもんね(照笑)。


【往復書簡】には当然、“往”があれば“復”がある。北里担当の次のページには、森山からのメッセージが、さらにグッとくる言葉で綴られている。だが、あくまでも本書のメインは彼らの日常。それこそ、帯に寄せられた宮藤官九郎氏の推薦文ではないけれど、デビューまでの日々は、ほぼ毎日<酒、ROCK、焼き鳥、喧嘩、バイト、焼き鳥、ママチャリ、焼き鳥…>みたいなローテーション。


森山:まぁ…ひとことで言うなら“バカ”よね(笑)。でも、バカで、金が無くて、だからロックしてるわけで。俺らに限らず、どんなバンドもアマチュア時代は、こんなもんだと思うし。あのビートルズだってね、デビュー前はかなりやんちゃだったみたいだから。



*『ビートルズ派手にやれ!』
そういえば以前、別の媒体で森山に取材した際、“ポップ”をテーマにお気に入りの書籍や映画を挙げてもらったことがある。その際、挙げてくれたのが、本書【まえがき】にも“俺のバイブル”として記されている『ビートルズ派手にやれ!』(アラン・ウィリアムズ、ウィリアム・マーシャル/訳:池 央耿/草思社)というエッセイだ。まだ無名だった時代のビートルズ。その初代マネージャーが書いたというこの本を、森山は「他では見たことのない“等身大のビートルズ”が感じられる1冊」として推していた。

であれば、やはり本書は、さながらTHE MODS版『派手にやれ!』なのだろう。まさしく“等身大”のTHE MODS、Two Punksが、いまにも本から飛び出しそうな勢いで、ヴィヴィッドに息づいている。しかも人間、年を重ねていくと、だんだん自分が後輩でいられる相手、後輩でいられる瞬間というのが減ってくる。でも実はそれが少し寂しくもあり、そういう意味では、この中の二人は、時に先輩たちの理不尽さに振り回されながらも、その居心地の良さをどこかで楽しんでいるふうにも思える。


──例えば“タラレバ”の話で恐縮ですが、ファンならよく知っている【俺の髪をさわるな】のエピソードで、レコーディングの場面がありますよね。あの時にもし、森山さんの希望通り、鮎川(誠)さんプロデュースでやれていたとしたら、どんなものができたと思いますか?


森山:そうねぇ…やっぱりシンプルなロックンロールなんじゃないかな。結局、あの頃の俺たちって、レコーディングとか、プロとかっていう感覚がよく分かってなかったんよね。だから、このオッちゃんプロデューサーがやるよりかは、絶対にマコちゃんの方がいいと思って。それはもう内容云々より“安心感”という意味でもね。同じ福岡やし、憧れの先輩でもあるし、そっちの方が絶対いいもんできるやろっていう自信よね。でも、結局は誰がプロデュースしようがディレクションしようが、核になるのは俺たちだから。そんなに大化けできるほどのものでもなかったろうし…わからんよね。でも、万が一、マコちゃんだったら、それを美味しく、上手くね、引き出してくれたんじゃないかなって。(もうあらゆる意味で叶わないからこそ)ちょっと夢見る気持ちは、あるよね。


──ここに書かれたさまざまなエピソードを読んでいると、1970年代の博多はすごく楽しそうで、素直に“うらやましいな”と思いました。もちろん、今が楽しくないというわけではないんです。でも、情報ツールが発達したぶん、たとえば先輩から直接リファレンスしてもらう機会も減ってきて。本来なら、そこで生まれたであろう会話とか空気感とか、その上下関係も含めた過程にドキドキしたり、ワクワクしたりしていたと思うんですけど、それもだんだんなくなってきましたよね。


北里:うん、それはあるね。それこそ、俺がモリヤンのところに初めて遊びに行った時も、“モリヤン、どんなんば、聴きよんしゃっちゃろうかー?”って、まずはレコードラックば探ったもんね(笑)。そしたら、そげん(思ったよりかは)ブリティッシュビートいっしょくた、でもなかったし、なかにはウィルソン・ピケットのレコードとかもあったりしてね。“へー、こんなん聴くんだ?!”とか、いろいろ新しい発見をしたよね。やっぱり、そうやって自分が憧れてる人には近づきたいし、そのためには、その人が何を聴いてるとか、(音楽的な)ルーツは何なのかとか、知りたいって思うのは当然やから。


森山:もちろん、今の時代、検索ですぐにっていうのも便利やし、わかるんよ。俺も原稿書くのは紙よりスマホがいいし、漢字もすぐ出るから便利やし(笑)。でも、やっぱり“苦労して手に入れたぜ!”っていうあの喜びをさ、感じられないのは、ちょっとかわいそうな時代なのかなとも思うよね。たとえば…よ?ザ・バンドっていうバンドのアルバムで『Moondog Matinee』っていうのがあるんだけど、俺、当時、お米屋さんでバイトしててさ。たしか若久団地やったかな?その4階まで、米と灯油を運んだわけよ。


北里:あー、あれ、たしか階段やったよね(笑)。


森山:そう、階段で(笑)、4階まで!で、灯油まみれで、もう全身自分が臭いわけ。でも、そうやって苦労して働いて買ったのが、そのレコード(『Moondog Matinee』)で。やっぱり、それは大切にしたもんね。

▲The Band『Moondog Matinee』(1973年)

──じゃあ(本書には、飲み代欲しさに、持っていたレコードを次々売って、お金に変えるエピソードなんかも出てきますが)もちろん、そのレコードは、売らなかった…んですよね?


森山:いや、売った(笑)。


北里:え?あ?!う、売ったぁ??アハハハハ!!売ったの?(笑)


森山:うん。だってもう、(他に売る)レコードがないんだもん。だから、最終的には売った。


──そして、焼き鳥とビールに…。


森山:変わったね(笑)。


北里:そうか。じゃあ、その片棒を俺が担いで…自分の胃袋に収めてたんや(笑)。


森山:(笑)。まぁでも、その“想い”はね…“苦労して手に入れたぞっていう想い”はちゃんとあったから。それに、レコードだけじゃなく、モノを作るときもそうだし、恋愛だってそうかもしれないよね。汗を流して、ちょっと苦労して、手に入れたり、作り上げたりしたものには、何だって“思い入れ”があると思うから。そういうもの大事にしていきたいとは思うよね。


──そういう意味では、本書に掲載されたお二人のディスク・セレクションにも、そうした“想い”がすごく含まれています。本文と併せてぜひ読んで、聴いて、なにか感じてくれたらいいですね。

ところで、お二人が上京されて早43年。当時のエピソードでは「東京、好かん〜」とも書かれていましたが、今はどうですか?


森山:そうね、今はもう東京の(生活の)ほうが長いから、別に「すかん」とまでは思わんけど、やっぱり、“博多”に対しては、いつも焦がれてるって感じよね。やっぱり俺たちの時代はスタジオもそんなになかったし、コンピューターも、インディーズ・シーンもなかったから、とにかく東京に行かんことにはレコードが出せない。そういうシステムだったよね。だから、(アルバム)1枚出して帰ってきたら、恥ずかしいよねって、そんな感じで一大決心していくところ。もちろん、冷静に考えたら飛行機はあるし(物理的にも)そんなに遠いわけじゃない。なのに(心理的には)ものすごい距離感があったというか。それこそ“仕事をしに行く”ところだと思ってたよね。


──でも、そうやって“博多に対してはいつも焦がれている”ってことは、もしかしたら今後、戻ってくることがあるかもしれない?


森山:うん、100パーセントない…ってことはないよね(苦笑)。だから何とも言えないんだけど、もし、戻ってきたら、その時は俺、大濠公園のそばに住みたい(笑)。


──大濠公園ですか。


森山: そう。今もあるのかな?バンで売ってたホットドッグ屋とか大好きだったし、女の子とボートに乗ったこともあるし、いろんな思い出がいっぱいあるから、その近くがいいなと。


北里:俺も戻ってくるなら、自分の土地勘があるところがいいね。となると(大濠公園も)近いかな(笑)。


森山:あ、大濠公園でまた(昔の)エピソード、思い出したわ。


北里:え、何?


森山:いつやったか北里と「俺たち、体鍛えろうぜ」って言って、「大濠公園に走りにいくばい!」って走りに行ったね。


北里:そうそう。なんかね「モリヤン、なんでそんなん持っと〜っと?」っていうくらい、ちゃんとしたランニング用のスニーカーば履いて、首にはタオル巻いてきたもんね。…でもさ、一周も走らんうちに、それこそ200メートルぐらい?で、「俺、もういいけん。お前走ってきやい!」って(笑)。


森山:いや〜、も〜ちょい、走・り・ま・し・た(笑)!!


北里:(笑)


角田:盛ったろ(笑)?


森山:盛ったね(笑)。でもまぁ、そういう落ちやったね(笑)。


──(笑)っていう、リアルなお二人の掛け合いが、この本の中にはたくさん出てくるんですよね?


森山:ですね。


北里:それで、またそれを家に帰って原稿に書く、と。


──なるほど。この調子で行くと、すぐにでも続編が出せそうですね。そもそも「博多疾風編」と付けてあるのは、続編ありきのことだったんでしょうか?


森山:いやこれがね、この時はまだ考えてなかったんよ。


北里:そうそう。本のタイトルも、第一候補は『Two Punks』やったし。そこに“Hey!”を付けようっていうのは、あとでモリヤンが思いついて。


森山:なんか『Two Punks』だけだと、硬いイメージ。あまりにも“THE MODSらしすぎる”っていうふうに感じて。でも、“Hey!”がつくことによって、すごく砕けた感じがするというか。こっちの方が、この本には合うような気がして、付けましたね。ニュアンス的には「よう!元気でやっているか?」とか、そういう感覚の“Hey!”になればいいかなと思って。

▲THE MODS「HEY!! TRAVIS」(from LIVE PAROLE) [Full Ver.]

──確かに。これが付くことで物語がグッと身近になるような気がします。ファンにとっては『HEY!! TRAVIS』なんかもあったりするので、親しみやすいタイトルになったのではないでしょうか。では、第2弾としてはEPIC編?


森山:いや〜、どうなんですかね。もう、記憶的にも無理かもしれない(笑)。


──え〜、そんなぁ。では、せめてドラマ化か映画化の方向でよろしくお願いします!


森山:ね、そうよね。それは俺も思う。誰か撮ってくれないかなぁ?


──昨日の話だと、クドカンさんは4年先までスケジュールが埋まっているとか?


北里:そうらしいね。


森山:そこをなんとかお願いして、2年先ぐらいにまで、縮めてもらえんかな〜(笑)。


──ただ、いずれにしてもこの本が出たことによって、いろんな楽しみが増えましたし、ファン同士が共に語れるネタができた。もちろん、そうなると“次は東京以外でもライヴを!”っていう期待の声が上がってくるのもわかるんですが、そこは何より森山さんの耳のコンディションを最優先してもらって。あまり焦らず、待っていたいと思います。


森山:うん。来年はいい加減、ちょっとしたツアーもやりたいなとは思っているんだけど、11月のライヴの後も、やっぱり2〜3日は、きつい耳鳴りがあったんで。そうした状態がなるべくひどくならないように願いながら、来年こそはみなさんに会えたらいいなと思ってます。それに、本も、どうやら評判がいいみたいで(笑)。今一時的に手に入らないと言う人もいるようですが、12月23日にはまた増刷されるらしいから、ぜひ、読んでいない人は読んでほしいと思います。


北里:とにかくこの本出したのも、すごくいい機会だと思っていて。ファンの子たちも俺たちと同じように、年を取っていってるわけだから、今までの固定観念をちょっと外して、ニュートラルな気持ちでもう1回、俺たちのことを見つめ直してほしいんよね。それに、いつも俺は“最新型のTHE MODS”がいちばん好きなんだけど、来年、もし始動するってなったときには、みんなも新たな気持ちで──それこそ、“初めて見るバンド”ぐらいな気持ちで(笑)、俺たちに触れてくれるとうれしいよね。


──では、いろいろ楽しみな2025年まであと少し。何度読んでも、どこから読んでも、誰が読んでも、ご機嫌なエピソードがたくさん詰まっているこの『Hey! Two Punks』を読みながら、待っていたいと思います。ありがとうございました!

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PROFILE

THE MODS

1973年結成の開戦前夜を経て、THE MOZZからTHE MODSへ。“ドロ沼のメンバー変遷”を繰り返し、たどり着いた最強の布陣で1981年1月7日上京。同年6月21日にアルバム『FIGHT OR FLIGHT』、シングル『崩れ落ちる前に』でメジャーデビューし、以降、現在に至るまでの40数年。サウンド、ファッション、生き方に至るまで、さまざまな部分で多くのフォロワーを生み出し、その一貫したスタイルと不変のパンク・スピリットで、常にファンを魅了し続けている。現メンバーは森山達也(Vo,Gt)、北里晃一(Ba,Vo)、苣木寛之(Gt,Vo)、佐々木周(Dr)。なお、バンド公式のSNSはいくつかあるが、中でもインスタグラムは主に北里が執筆。ある意味、今回の著書のアナザー・ストーリー的展開も楽しめるので、未フォローの方は是非、フォローを!