色褪せぬ《Satisfaction》と無二の《Vintage Obscure》
原点をもって示すINO hidefumiの現在地

INO hidefumi

取材/文:山崎聡美

色褪せぬ《Satisfaction》と無二の《Vintage Obscure》<br>原点をもって示すINO hidefumiの現在地

キューブリック映画『スパルタカス』(1960)のテーマ・チューンを尖鋭かつ深淵にアレンジした『Love Theme From Spartacus』をパイロットに、INO hidefumiがデビュー・アルバム『Satisfaction』を発表したのは2006年のこと。フェンダー・ローズ(Fender Rhodes:フェンダー社製ローズ・ピアノ)の甘美にしてノスタルジィに満ちた響き、人間味に溢れた感応的な揺らぎは、瞬く間に国内外のフロアを席巻し、以降も、シンガーソングライター/鍵盤奏者として、古今東西の音楽を昇華した豊潤にして挑戦的な作品を発表し続けている。同時に、多くの鍵盤奏者にとっての名器を自在に操るプレイで、様々なミュージシャンの楽曲やステージを支える存在でもある。

『Satisfaction』リリースから20周年となるこの2026年、同作再現ツアーの開催がアナウンスされた。20年来のリスナーや彼の7インチシリーズをはじめとするレコード愛好家は無論必見だが、未見のストリーミング世代にとってもINO hidefumiの原点と現在に触れられるまたとない機会である。まずは本インタビューで、リリース当時の状況やそれ以前の福岡時代を振り返りつつ、INO hidefumiというアーティストの源泉に少しだけ触れていただきたい。

──『Satisfaction』リリースから20年を経ての再現ツアーというのは非常に嬉しい報でした。デビュー20周年ということにもなるわけですが、その歳月や音楽を創り発信し続ける中で得られた実感みたいなものはありますか。

INO:実感はあまりないんですが、ただ、驚かされることはありますね。ライヴが終わった後に、サインとかしてお話しさせてもらっていると、「勇気を貰いました」とか、ある方は「うつ病だったのが治りました」とか…そういうお話を聞くと、驚きとともにこちらの身が引き締まるというか、頑張って(音楽を)創らないと駄目だなぁって、逆に励まされているような気持ちにはなりますね。

──意図せず、誰かの人生に大きく関わってしまうという。

INO:そこまで大袈裟に考えてはいなかったけど、そういう人がいらっしゃるのはありがたいし…そうだね、僕のということじゃなくて音楽にはそれぐらいの力があるんだと信じてはいるものの、どうなんだろうという疑いもあるので(笑)。でもそういう声を聞くと、信じてきてよかったなと思いますね。

──信じてこられたのは、INOさんご自身が実際に、音楽の奇跡や魔法みたいなものを感じて魅了されることが多かったということでもありますか。

INO:そうですね、特に10代、20代の多感なときは。そういう感覚はやっぱり、音楽にしかないかもしれないなぁ、自分にとっては。

──INOさんの10代の終わりから20代は福岡時代ですよね。当サイトを運営するBEAの制作担当でもあった故森裕史氏からお話を聞いていたこともあって、DJイベント「Freak Out!」や、クラブカルチャーを含め福岡の90年代音楽シーンに深く関わったお一人であるという印象も、個人的には強くあります。

INO:なるほど、「Freak Out!」をご存じですか。そう、森さんと一緒に「Freak Out!」をやったり、バンド(*1)を始めたのもその頃ですね。二十歳かそこらなので、’89年から’90年代初頭。TICRO MARKET(*2)を森さんがオープンすることになって皆でペンキ塗ったりもしていました。当時は森さんの家に集まって、「今日の戦利品!」とか言って買ってきたレコードを聴いたり、バンドのリハーサルの後にザ・ビーチ・ボーイズのコーラスの変化の仕方を研究したり(笑)。もうホンットに、濃く深く音楽に浸かる時間を過ごしていましたね。Juke Records(*3)にも通っていて、オーナーの松本(康)さんには「ピアノ弾くならこういう音楽聴かんとダメよ」「これあげるけん、持って帰り」って、レコードを貰うこともあった。若かった僕は、そういう優しい大人たちに教えられたことが本当に多かったと思います。それが土台みたいなものです。元々は5歳からクラシックピアノをやっていたんですよ。それで芸大を目指して、宮崎から福岡に来て、予備校に2年間通ったんですが、その2年のうちにそういう人たちと出会って結局大学へは行かずに音楽の道、間違った道に引っ張られることになってしまった(笑)。

*1:The Lublites=INOがヴォーカル&キーボードを、森氏がベースを担当、60年代ロック・R&Bをレパートリーの中心としていた。

*2:美容室・TICRO HAIR併設の古着店として’91年開業。’94年以降現在まで福岡有数のレコードショップとして知られる。

*3:1977年オープンの老舗レコード店。ロックやブルースを中心とした輸入盤を取り扱うとともにロックの智と血を多くの若者に伝えた。店主・松本康氏の死去に伴い2022年閉店。

──正しく間違った、という感じでしょうか(笑)。そんな福岡での音楽探求を経て上京、自主レーベルを設立し2006年にデビュー・アルバム『Satisfaction』をリリースされました。当時のことはどのように記憶されていますか。

INO:どうだったんだろう…ただ、後先考えずに上京したのが30歳頃で、仕事もなく、レコード会社に持ち込んだ自分の音源は全部空振りで。絶望的な状況でレーベルを立ち上げて自分の音楽を発信しようとしたという経緯を振り返ってみると、信念、芯みたいなものだけはあったかもしれないですね。ドン底、ド貧乏でしたから(笑)。

──そんな状況であったならなおさら、『Satisfaction』のニュートラルさ、純度の高さに驚きを覚えます。

INO:僕はたぶん、純粋というより単細胞なんじゃないかな(笑)。裏表がない人が好きで駆け引きする人は好きじゃない。だからあんまり難しく考えてないというか、そのまんま(やりたいことを)やってる感じだと思います。その後の作品にしても、普通はインストのアルバムを出したならその後も同じテイストで出し続けていくのがミュージシャンのスタイルの確立法だと思うんですけど、僕はアルバムごとに世界が変化している。僕にはプロデュースも何もなく、楽曲制作も、ドラムもベースも全部自分でやって、創ってるから、売れるためのセオリーみたいなものはわからないし全く見えてなくて。それに、周りが“これが新しい”って言ってるものを聴いても僕は新しく感じなかったりする。だから、本当に自分に正直にやるしかないんですよね。そこで離れるリスナーももちろんいたと思うけど、それも自分に正直に、自分が今聴きたいもの、創りたいものを創ってきた結果として受け止めています。まぁそれでもやっぱり、色褪せないよなぁ、というのは『Satisfaction』には常々感じていて。一番シンプルでわかりやすいのはやっぱりコレなんでしょうね。ジャケットも含め、フェンダー・ローズ。そこに尽きるんじゃないかな。

──だからこそ、INOさんにとってもリスナーにとっても、帰り着く場所という感覚もあるのかな、と。

INO:ああ、確かに。自分の原点みたいなところはありますね。

今年4月9日には、『Satisfaction』20周年記念として新作7インチ・レコード『Love Theme From Sunflower/レモンティ』がリリースされた。SIDE Aに刻まれたのは、イタリア映画の名作『ひまわり』(1970)のタイトル・チューンの旋律である。独立後のウクライナの国花であるひまわりの花畑の圧倒的な美しさとともに、戦火の悲劇、その無残さと虚しさを数多の人の心に刻み込んだ名曲が、洗練されなお哀切さを孕むアレンジによって鮮やかによみがえった。反戦の継承と祈り、さらに警鐘の念をもってたおやかに響き染み込んでくるこの曲を聴いて、『Satisfaction』収録の『Why are we at war』に受けた衝撃もまたよみがえった。

INO:元々は、戦争とか平和っていうテーマを音楽に組み込むことは、正直に言ってあんまり好きではなかったんです。そういう音楽を聴くのも──特に日本の70年代のフォークソングとか──あんまり好きじゃなくて。でも、時代はどんどん変わって…このまま世界はどうなっていくのか、現代の子どもたちはどんな世界で生きていくことになるのかという不安を抱くような不穏な世の中になってきているというところで、ごく自然に、戦争と平和というものを、『MEMORIES』(2024)というアルバムでは歌詞に綴ったりもしたんです。そういうものがごく自然に出てくるようになったというのはありますね。ただ、意図的にメッセージを込めようというのは今でもないです。今回の『Love Theme From Sunflower』も、“今自分がやりたいのはこの曲だ”って直感的に思ったからだし、これが何かしらの形で世界に届くといいなとは思っています。よくね、アルバニアとかフィンランドとか訪れたことのない共和国の人からメールが届くんです。そこには「あなたの音楽には愛を感じます」というようなことが、英語もしくは現地の母国語で書かれていたりする。それは、先入観なく音楽だけが届いた瞬間があるという証だと思うんです。

──「戦争が他人事ではない時代において、一音楽家としてどんな音楽を創るか」というのは今多くのアーティストが意識的かどうかにかかわらず臨んでいるところだと思いますが、INOさんの楽曲には、伝えることの使命感ではなく、音楽でなら伝えられるという信頼感のほうが大きい気がします。昨年行われた延岡での母校ライヴ(2025年12月に延岡市立土々呂中学校および同南中学校にて開催)は、そういった思いをこれからの困難な世界を生きる子どもたちに直接届けたいと思ったからですか?

INO:それは全然なかったです(きっぱり)。だって、母校ライヴって、アーティストが学生の前に出た瞬間に「キャー!」ってなるイメージなんですよ。演奏もしてないのに「帰ってきたよ~」だけでドッカーンとなる。「INO hidefumiさんです!」って紹介されて出ていったところで…というイメージしかなかったから絶対やりたくないと思ったんだけど、マネージャーが「母校ライヴ、受けたよ」って。「ええ―っ?!やりたくない!」と言ったんですが…。

マネージャー氏:「もう返信しちゃったもん、もう断れないよ」って事後承諾でした(笑)。

INO:そんな感じで卒業式以来初めて母校に行きまして。率直な感想を言うと…やってよかったな、と。中学生がみんな楽しそうに、真剣に音楽を聴いてくれて。僕は吹奏楽部だったんですが、音楽室まで「行きましょう!先輩!」って、手を引かれて連れていかれたり(笑)。終わった後には見送りもしてくれて。僕のほうがパワーを貰って、「また絶対来てください」「また絶対来るよ」って約束までするぐらい素敵な時間を過ごしたので、断らなくてよかった(笑)。何を演奏するかはさすがに悩みましたね。ビリー・アイリッシュ(の曲)とかやったほうが盛り上がるんじゃないか?とか。そうしたら高校3年の娘に「舐めんじゃないよ、今の中学生。普段通りやったほうがいいよ」と(笑)。「そうか、わかりました」と、普段通りのバンドのライヴを、普段通りに照明も入れて逆光で、まるでライヴハウスのような感じでやらせてもらいました。

──初めてのライヴ体験だった子もいたでしょうし、とても得難い、互いの宝物になるような体験ですね。そういえば、先程話に出た『MEMORIES』では私もとても得難い感覚がありました。身体がざわざわするというか…皮膚をめくった裏側にある襞(触覚)の全てを、ざわざわと揺らされているような…非常に昂揚しました(笑)。

INO:あぁ、それは素晴らしいですね。僕はそこを揺らしたいんですよ。音楽を創る上で、人の神経に触れるか触れないか。だから自分が創っているときは、まず自分がそれを感じられるかどうかでジャッジしているんです。一人でやる上での判断基準というか、鳥肌が立つ感じとか神経に触れる感じがなくてボツにすることがいっぱいある。そこを感じてもらえるのは嬉しいですね。僕の音楽はわかりやすいものではないとは思うので…よく聞かれます、「ジャンルは何ですか?」と。でもそれでいいと思っていますし、僕自身もレコード屋さんに行って一番最初に見るコーナーは《その他》なので(笑)。そこにはムード歌謡だったり、エキゾチックミュージックだったり、《曖昧な》音楽っていうものがあるんです。そういうのが昔から好きで。一発聴いてロックだジャズだレゲエだっていうものじゃなくて、それがごった煮にされているような、“コレ、何だ?”“なんか変”と感じられるようなものがすごく好きで、そういうレコードがウチにはいっぱい並んでいて、気づけばレコードラックのほとんどが《Vintage Obscure》なものばかりです。

──土地という観点ではどうでしょうか。INOさんの音楽には日本だけでも琉球音楽からアイヌ民謡までその土地と民族独特のリズムが昇華されていますし、地球上の古今東西の伝統的な音やリズムを吸収して発露したいというような欲求はありますか。

INO:そういう音やリズムが大好きですし、欲求としてもありますね。ちょっと話が逸れますが、日本人のルーツみたいなことを考えて、それを突き詰めていくと先は縄文なんですよね。縄文の装飾や土器を見ても、実用的でありながらデザイン的な部分や遊びの部分を大切にしていて、とっても面白い。だから、いろいろな国や土地独自のカルチャーがある中で、日本人はどこから来たのか、どうやって辿り着いたのか、どこに行くんだろうみたいな漠然としたことを考えながらやっていますね。それは音楽とは違うところでの興味も大いにあります。

──音楽以外にもINOさんの独自性を形成する何か、インスピレーションを得るところがあるということですか?

INO:その土地土地の神社です(笑)。昨日は初めて宗像大社に行ってきました。去年、細野(晴臣)さんに勧められたんです、「宗像大社はヤバいよ」って。すごくよかった。本殿の奥の第二宮(ていにぐう)第三宮(ていさんぐう)は特に空気が変わりますね。22、23歳の頃に、奈良にある天河神社(天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ))というところに一人で、青春18きっぷを使って行ったことがあるんです。それも細野さんの影響で、細野さんの『Mercuric Dance(マーキュリック・ダンス~躍動の踊り)』(1985)というアンビエントのアルバムのA-SIDEは天河でレコーディングされているんですが、それがその時期すごく好きで、で、同時期に読んでいた中沢新一さんや横尾忠則さんの本にも“天河大辨財天”というワードが頻繁に出てくるんですよ。これは行くしかないと、真冬の一番寒い時期に約10時間電車を乗り継いで最寄り駅に着いたのが夜7時。そこからバスで上る計画だったのが雪で運休、停まっていた何台かのタクシーにも無理だと断られて。絶望的な気持ちになっていたところに「兄ちゃん、天河行きたいらしいね。乗せていってやろう」って一人のタクシー運転手さんが声をかけてくれて。それで山道をぐるぐると上っていく車中で「へえ、音楽が好きで?こんな季節に変わってるねえ。この間も音楽やってるって松任谷由実とかいうヒトを乗せたけど、知ってるかい?」なんて話まで聞いて、無事に参詣できました(笑)。

──そんな逸話をお持ちとは…細野さんもユーミンも呼び寄せる天河もすごいし、その状況で辿り着けるINOさんもすごい(笑)。その縁が現在に繋がっているのも不思議な巡り合わせですね。

INO:神社はそういうところがありますね。ただ、パワースポットというのは好きじゃないんですよ。その呼び方、言葉がすごく嫌い。

──確かに、パワーを貰いに行くぜ、みたいなノリがありますね。

INO:そう、そういうんじゃないんですよね。僕が行くのは、(自分自身を)アップデートする気持ちというか、そういう場所に行くと更新されるんです。それが気持ちよくて行くようになりました。更新されることでまた新しい音楽も生まれてくる。僕は海と山と川でしか遊んでいないような田舎者なんで、やっぱり自然が一番好きなんです。(パブリック・)イメージにないとよく言われるんですけど(笑)。自然の中にいると、不思議といろんなことが動き出すっていうか…海と山で(役割が)違うんですよ。海は捨てる場所、山は得る場所。僕の中ではそういう感覚。嫌なこととか考えたくないことがあるときは海へ、何かを感じたいときは神社を含む山へ。…あと行くとこはレコード屋ぐらいかな(笑)。

──常に更新し循環させているからこそ、INOさんの源泉には澱みがないのだなと今、腑に落ちました。現在は、5月~6月の『Satisfaction』再現ツアーに向けて、ご自身をシフトチェンジされているところでしょうか。

INO:もうそれしか考えてないですね(笑)。アレンジ考えてリハーサルして、というのを大急ぎでやっているところです。伊賀航(Ba.)、澤村一平(Dr.)、小森宏子(Syn.)との4人編成で、とても楽しいツアーになると思いますので、ぜひ遊びに来てください。

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LIVE INFORMATION

“SATISFACTION” 20TH. ANNIVERSARY INO hidefumi PLAYS “SATISFACTION" TOUR

2026年5月29日(金)
福岡 BEAT STATION

PROFILE

INO hidefumi

宮崎県延岡市出身。高校卒業後の約10年間を福岡で過ごしたのち上京。2004年に主宰レーベル《INNOCENT RECORD》を設立し、現在まで続く『7inch series』のリリースをスタート。2006年にデビュー・アルバム『Satisfaction』を発表。フェンダー・ローズをメイン楽器とし、楽曲制作からミックスダウン、レーベル運営まで自身で手がける完全DIYスタイルで、音楽の探求と発信を続けている。