“50年前も50年後も音符と遊んでいる” 
半世紀にわたる道程の先を射す一条の光

山崎ハコ

取材/文:山崎聡美

“50年前も50年後も音符と遊んでいる” <br>半世紀にわたる道程の先を射す一条の光

《そんな弱い私なら そんな弱い私なら バイバーイ》


去る11月4日、福岡 電気ビルみらいホールにて開催された50周年記念ライヴのクライマックス。『気分を変えて』の最後のフレーズがしばらく頭の中でリフレインされ、その明るさはいつまでも胸に残った。なんと軽やかで、逞しくかつ潔く、さらに凄烈であることか。しかもデビュー50年でこの疾走感とリズムキープ力。まるでデビュー当時17歳の山崎ハコとユニゾンしているかのようにエッジィな歌に、ただただ昂揚した。

かけがえのない伴侶であり音楽パートナーである安田裕美氏を見送り、がらんどうの心ごと歌に向かった彼女は、数多の縁を手繰り寄せ、果たして新たなアルバム『元気かい』を完成させた。そして来春には故郷・日田のステージに立ち、自らの源流へと歌を還す。

ノスタルジアやキャリアに浸ることも頼ることもなく、歌の本質を表現しつづけるシンガー・ソングライター、山崎ハコ。50周年記念インタビューの第2弾をお届けする。(第1弾はこちら



──みらいホールでの50周年記念ライヴ、大変すばらしかったです。正直、懐古的な雰囲気に終始しても仕方ないと思っていたんですが、全くそんなことはなく。ハコさんもオーディエンスも完全に現在の歌として歌い受け止めているというか。過去を懐かしむのではなく、ハコさんの歌の情景を現在に至る道程も含めて慈しむものでした。


ハコ:観てくれてうれしいな。ありがとうございます。ステージから(客席を)見ると、なんかとてもあったかかったんですよね。道程という点では、今回のライヴはそういう構成にもなっていて。日田から横浜に出てきたところから自分の人生を辿るように歌っていった。それが今やるべき自分の“Live”だと思ってるんです。


──ハコさんご自身も、50年の道程を踏みしめるように歌っていったという感覚があったんですか。


ハコ:そうですね。今回はやっぱり、新曲よりも50年前のデビューアルバムである『飛・び・ま・す』を中心に組み立てているから、どうしてもそうなってしまいました。


──ただの懐古ではなかったというのは、楽曲そのものも同じで。過去の曲も、現在の歌としての有機性に満ちていたんですよね。当時のキーのままというのもすごいですし、何よりすごかったのが『気分を変えて』でのテンポと、ハコさんのギターのリズムキープ力!


ハコ:あぁそうね、速い、速い(笑)。50年前にレコーディングしたときのほうが遅いんだよね、意外と。ロックだけど遅い。でも、二十歳の頃のライヴでは、拍手が間に合わないくらい速かったんですよ(笑)。基本がロック少女だから、前ノリのリズムがないと我慢できない。絶対に後ノリになっちゃ駄目、気持ち悪いのね(笑)。歌が年をとらないというのは、そういうこともあるのかなと思います。♪バイバーイ、ってずっと前へ、前へ歌っていたいというか、頭からビッと入っちゃうの。ワンテンポ置いてとかいうのが嫌なんだよね。『ひまわり』とかもやったからきつかったけど、でもやらなきゃなと思って。ボロボロになりながらやりました(笑)。


──『ひまわり』も含め、今回、ご自身をギリギリまで追い込むようなセットリストになっているようにも思いました。この曲をやらなきゃみたいな思いが強くあったのでしょうか。


ハコ:50年間の歌を、全部はやれないじゃない?これとこれとこれと……って選んでいく中で、第一部の最後はアップテンポ(の曲)だな、『ひまわり』がやっぱり好きだなと思って。2枚目のアルバム(『綱渡り』/1976年発表)の曲だけど、録ったのはまだ18歳のときで、九州で見てたひまわり、でーーーっかいひまわりのイメージで創ってるんですよね。だから九州でやらなきゃ、と。初期の頃の曲は特に、九州、日田を思って描いているので。でも別に田舎に帰りたいと歌っているわけではなくて、自分の運命を肯定して、吹っ切って歌ってるんですよね。自分の知っている故郷の景色はもうないけど、胸の中、記憶の中だけにはある。故郷はここ(心)にあれば一生ついてくるから。


──聴いている私たちは自分の心の中の景色を呼び戻されているんですね、きっと。だからハコさんの歌の深いところまで引き込まれてしまう。

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ハコ:そうかもしれない。だから原田芳雄さんは、「ハコの歌は縁(えにし)なんだ」って、「俺は東京で生まれ育った東京っ子なんだけど、見たこともない山が見えたりする。それはきっと祖先がずっと歩いてきたような場所を見てる、昔の縁を呼び起こされてるんだな」というふうに言ってくれたんだと思います。都会の人がそんなふうに抱く感覚が私にはよくわからないけど、自分の歌が土のにおいを持っているというのはわかっているので、それを失くさないようにしようというのは思っていますね。


──あと、ライヴ中に気づいたというか見えたのが、ギターを抱えた17歳、18歳のハコさんが今のハコさんと一緒に歌っている姿で。


ハコ:それは、私の在り方がマトリョーシカと同じだから(笑)。17の私も18の私もずっと居て、マトリョーシカみたいに上からどんどん重なっているだけなの。もちろん、デビュー以前の子どもの頃の自分もね。そこが芯だから。芯を失くしたら歌えないし、景色も見えないと思う。見えないのに歌ったら、嘘だもんね。歌は嘘をつけないものなんです。


──歌は、嘘をついてはいけないじゃなく、つけないもの。
少し踏み込んだ話になりますが、ハコさんにとって安田さんを亡くされた喪失感というのは埋められない穴だと思いますし、リスナーの中には同じ穴をお持ちの方も少なくないように思います。そういう穴を歌で埋めていくのか、その穴すらも歌になっていくのか、ハコさんは今どのように感じていらっしゃいますか。


ハコ:ん~…と、みんなに言えるほどのものであるかはわからないんだけど……ライヴの時にも話したよね、“ボコッと空いてしまってるけど、死にゃあせんのよ”って。喪失感で人は死にはしないんだよ。ずーっと悲しくて寂しくて仏壇の前でじーっとしてて、このまま死ぬかなと思ったけど、死なないんだよね。人間はそういうふうにできてるんだと思う。でね、その痛みも、10日後も同じ痛みかっていったら違うんだよ。10日経つと、こうしててもしょうがないし何かしなきゃなぁ、ご飯炊かなきゃなぁと思うわけ。それは、そうしないと申し訳ないから、死んだ人に。まだ生きたかったのに病に殺されてしまった人がいて、なのに、私が私を殺しちゃったら、それは駄目なんだよ。彼が生きたかったんだから、私は生きないと。死にたい、歌も歌えないなんて言ったら、「それは僕のせい?」って彼は言うから。生きられなかったことだけでも可哀そうなのに、「僕のせいだね」なんて言わせたらあまりにも可哀そうじゃない。私が歌っていれば彼は「やったね!」って喜ぶだろうし、私自身も、安田さんに聴いてもらおうと思えば、新しい歌ができなくても空っぽでも歌います、っていう曲はできるわと思って。そしたら『50 YEARS』ができた。できるものなんだなあ、って……だから、いちばん最後は、“もうできません”っていう歌を創って終わろうと思ってる。それを創ってるうちに、できてるじゃん!ってきっとなるから(笑)。


──……そうか、それがお守りみたいなものなんですね。


ハコ:そうそう(笑)。それをね、いっつも思ってるんです。


──終わるつもりが『50 YEARS』という曲ができ、それがはじまりになって新しいアルバムができたということですよね。なんかもうすごい。そのアルバム『元気かい』は、縁ある方々との物語をあらためて紡ぎなおすような作品ですが、黒田征太郎さんが描かれたジャケットの小鳥が、ハコさんの手の上でとても愛らしいです。


ハコ:さっき芳雄さんの話をしましたけど、その芳雄さんの事務所から届く年賀状が毎年征太郎さんの絵で。鳥が一匹いるの、毎年違う鳥。縁があるんだよね、芳雄さんと征太郎さんも。


──「ご縁は神様からの贈り物」という言葉を知人から聞いたことがあるのですが、ハコさんはその贈り物を生かし、また、ご自身の歌でしっかりとつないでこられたというのをあらためて感じます。


ハコ:どうなんだろう、結果的につながっているということかなぁ。50年前に知り合った芳雄さんの『新宿心中』のカヴァーを今回やらせてもらって、その曲のギターを息子である(原田)喧太くんが弾いてくれたり。50年前のアルバム『飛・び・ま・す』でギターを弾いてくれたCharに、「『50 YEARS』っていう曲ができたよ」と話して今回また弾いてもらったり。あと、劇団「椿組」の外波山座長(※)が元々所属していたのが芳雄さんの事務所だったり。縁のある人ばっかりでできたアルバムであることは間違いないですね。黒田さんもCharも、電話1本でOKしてくれたんだよね(笑)。


※新宿花園神社での野外劇・テント芝居を39年間続けてきた劇団『椿組』の主宰である外波山文明(とばやま ぶんめい)氏。新作『元気かい』収録の『ふようのうた』『花之井哀歌』『まっくらやみ』『小鈴のうた』『追悲荒年歌』は、椿組演目の主題歌・挿入歌として制作された楽曲。


──Charさんも電話1本で!


ハコ:『50 YEARS』は自分がギタリストみたいなつもりで曲を書いちゃって(笑)。でもふと、Charは今もいるじゃん!と思って、電話して「ギター弾いてくれませんか?デモテープ送るから!」って(笑)。この歌、実はデモテープまんまの歌なんですよ。


──歌も、歌詞も、“まんま”なんですね。


ハコ:そうそう、“ヨレヨレじゃないよね~”とか言いながら録りました(笑)。
『新宿心中』は、喧太くんが「全部俺が弾く!」ってリードもサイドも全部のギターを弾いてくれたんです。


──Charさんと喧太さん、それぞれのギターの個性も聴きどころですよね。


ハコ:全然違うよね(笑)。で、また喧太くんもリードとサイドでは違ってて、全然違うカッコ良さがあるのよね。


──ハコさんが歌う『新宿心中』は、他の曲と異なる艶がありますよね。


ハコ:そう、好きなんですよ。いい歌だし、技術的に難しいんです。音域がものすごく広くて、高いところも裏声に逃げられない。低いところから高いところまでしっかり言葉を歌わなくちゃいけないので。(作曲者である)宇崎(竜童)さんも「俺も歌えない。芳雄さん用に創ったんだ」と言っていました。芳雄さんは声域が広くてブルースも歌うし、『リンゴ追分』とかも歌ってますからね。(美空)ひばりさんが「あなたのはいいわね」って、芳雄さんの『リンゴ追分』は認めていたみたいです(笑)。


──シンガーとしての原田芳雄さんの名曲を、今のハコさんにしかできない形で残された尊い歌だと思います。


ハコ:この歌もそうだけど、映像の中の歌っていいんですよね。ミュージカルみたいに説明しなくていいから。どんどん言葉を削ぎ落としたくなっちゃう。だって映像があるんだもん。


──ハコさんも、ご自身の記憶にある映像から曲を創られると、以前おっしゃってましたね。


ハコ:うん、そうね。だから、なんなら♪ルールー、ってハミングだけでもいいと思うの。それが映像と一体になって、ガーンッと観る人に何かが伝わると思うし、それだけで何も言わなくても泣けたりする。そういうのが好きですね。…だから結局《歌》って、詞じゃないんだよ。詞じゃないし、曲でもない。


──ハコさんは歌詞を書かれていない楽曲もけっこうありますし、それこそ『新宿心中』のようなカヴァーでも《ハコ節》になることと関連するお話かも。


ハコ:どうだろう……わからないけど、歌詞を書いてても、重要なのは詞と詞の間ですよね、いわゆる行間。そこに気持ちがあって、詞の奥に気持ちがあるから。そこで山崎ハコが出てくるんだと思います。そこがハコの命というのがあるから、同じ歌詞を歌っても、違う歌になる。たとえば『織江の唄』は、五木寛之さんの歌詞があって、たくさんの人が歌っているけど、でも私が歌う『織江の唄』は「ものすごく織江っぽい」と五木さんは言うんです、「自分が想像する織江が居る」って。それは言葉になっていない織江の思いがのってるからだと思う。


──あの、今腑に落ちました。『50 YEARS』の《音符たちは歌うように 人間と遊ぶ》というところがとても好きで。このハコさんの歌への感覚が、今のお話とつながりました。


ハコ:あぁ~、そうそう、私、昔からそう思ってるんだよね。人間は見えない音符と遊んでる、ロックとかだと音符が絡みついてる、って。で、空中には音程の道があって、ヴォーカルはその見えない道を踏み外さないように進んでる、って。


──あっ、なるほど、《誰にも見えない 細い道》ですね。


ハコ:そうなんです。空中だから細いうえに不安定だから外したりもするんだけど、できるだけ踏み外さないように行くことが歌い手の使命というか。ギターははみ出したっていいんだけどね(笑)。そういう音楽そのものの歌でもあるんです。でね、♪50年前さ~、のところは《ドレミファソラシド》なんですよ。


──ですね!ずっとマイナーコードで進行してきて、ここで一瞬光が射す、視界が開けるんですよね。


ハコ:言葉を入れると意外と歌いにくいんだけど、どうしてもこの音楽の基本である七つの音階、音楽家がずっと追いかけてきたものを入れたくて。あの一瞬光が射す感じは、50年前も50年後も音符と遊んでいることには変わりがないじゃん、(音楽は)続いていくじゃん、という気づきですね。ドレミファソラシドは終わらないから。


──先日のライヴの終わり方も、ここで50周年だけどここで終わりじゃないよという明るさ、逞しさを感じるものでした。


ハコ:『気分を変えて』って、♪バイバーイ、って突き放しているのに、寂しさよりもそこを突っ切る強さ、明るさのようなものが、歌っている私にも、聴いているみんなにも、あったような気がします。あれはなんなんだろうね、九州人だからなのかな(笑)。でも今でも変わらずその感覚を持てること、『飛・び・ま・す』をこれからまだまだ飛び立つよという気持ちで歌えること、普遍的な歌を創っていてよかったと思います。それとやっぱり、ここまで来ると、51年目、52年目があるかは確かではないからね。50年のこのアルバムを創ってよかったなと、あらためて感じています。

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LIVE INFORMATION

先行あり

山崎ハコ デビュー50周年ライブ
” 飛・び・ま・す ”

2025年3月30日(日)
沖縄 桜坂劇場ホールA
2025年4月13日(日)
大分 日田市⺠文化会館『パトリア日田』小ホール

PROFILE

山崎ハコ

1957年5月18日、大分県日田市生まれ。1975年にアルバム『飛・び・ま・す』でレコードデビュー。映画『青春の門』(1981年)のイメージソング『織江の唄』をはじめ『望郷』『さすらい』など数多の名曲・ヒット曲を生み出し、2012年発表のアルバム『縁―えにし―』では日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。2014年に自選のデビュー40周年記念ベスト盤『ハ・コ・で・す 1975-2014』をリリース。2016年にはオリジナルアルバム『私のうた』、2018年には作詞家・阿久悠の未発表詩に曲をつけた『横浜から 阿久悠未発表作品集』を発表し、旺盛な創作意欲と無比の歌力を再認識させた。役者としても、瀬々敬久監督の『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)でスクリーンデビューし、比類なき存在感を発揮。昨秋には荒井晴彦監督作『花腐し』に出演、挿入歌としてカヴァー3曲を提供している。2020年7月、公私にわたるパートナーであるギタリスト・安田裕美氏を見送り、のち一周忌を控えた2021年6月30日に『山崎ハコ セレクション「ギタリスト安田裕美の軌跡」』をリリース。