ぼくらに至急必要なのは、
SCOOBIE DOというブルースだ。

SCOOBIE DO

取材/文:山崎聡美

ぼくらに至急必要なのは、<br>SCOOBIE DOというブルースだ。


このインタビュー前夜、本誌編集Kさんは夢を見たそうだ。
「今日リモート取材のはずが、スクービーの皆さん全員で福岡に、BEAの事務所に来てくれました!」

あぁ。最高のサプライズ。そうならば、どんなによかっただろう。
それはついこの間まで、夢じゃなく現実の、当たり前のことだった。でも今、わたしたちはそれぞれひとりきりで四角い枠の中にいて、画面越しの顔を見つめて話している。最初の緊急事態宣言から1年を経た今もまだ。
1年前、ほぼ全ての文化・芸術活動が制限されたとき、ライヴという体験が日常から奪われたとき、最初に喪失の痛みを覚えたバンドは、誰あろう彼ら、“LIVE CHAMP”ことSCOOBIE DOだった。スクービーのライヴに一度でも足を運んだことのある方ならお分かりだろうが、ライヴの歓びと感動と昂揚と爆発を、バンドとオーディエンス双方のエネルギーを最高潮にしてぶつかり合い融かし合って、掛け値無しに体感させてくれる無比のバンドだ。ライヴハウスの濃密な空間での猛烈なバースト、自身の限界を越えるためのビッグバンと言ってもいいほどの体験。その喪失は代え難く、耐え難い。要するに「オンラインで埋まるわけねーだろ!?」ってことだ。だが、そんなやり場のない憤りすら受け入れ癒やすように、このかつてない逆風と葛藤と困難のフルコンボに向かって立つ新曲『同じ風に吹かれて / Alive Song』は、想像を超えてしなやかだった。やさしく、いたわりに満ちていた。彼らが受け継ぎ体現してきたソウルとブルースは今こそ、至急必要なんだ。心からそう思った。
数多のライヴの延期・中止に真摯に対応しながら、無観客の配信ライヴや、新たな形式の有観客ライヴにも寡黙に取り組み続ける彼らは、この1年、どんな逡巡をしてどう過ごし、今何を思うのか。ギター&リーダー・マツキタイジロウとヴォーカル・コヤマシュウに訊いた。


絶望と地続きでも、バンドを続けるという覚悟


──というわけで、まず両A面シングルとして昨年発表され、配信でもリリースされた『同じ風に吹かれて / Alive Song』の話から始めていきたいと思います。この2曲に発露された心情と願いがあまりに如実で切実で、聴き手としてそれはとても大きな拠り所となっているんですが、バンドとしてはどういう心持ちで作られたんでしょうか。やはりこの情況を曲として残したい、と?


マツキ:あ~、そうですねぇ……まぁ去年ね、結局1年間、思うように活動できなかったんで……いつもだったらたぶん、去年の暮れとか今年の頭ぐらいにアルバムを出して、全国ツアーをやって、っていうサイクルだったと思うんですけど……もう、完全にそういう考えは措いて。なんていうんだろう……バンドをどうやったら、維持できるのかなぁっていうか……活動をしないながらもバンドを続けていく(=存続させていく)にはどうしたらいいかということを考えてたというか。そういうことを思いながらの1年だった感じで……そんなところからの曲ですよね。


──制作、レコーディングはいつされたんですか?


コヤマ:夏、かなぁ。『Alive Song』は。


マツキ:っけね。7月とか8月とか。『Alive Song』を先に録って、またしばらくして『同じ風に吹かれて』を作って、録って、という感じでしたね。……こういう状況になって、僕もYouTubeをやってみたりとかギターレッスンをやってみたりとか、個人で活動できることを探しながらやってて……問題を解決するものって需要があるのかなって思ったんですよ。ちょっと言い方おかしいかもしれないけど。YouTubeとかもいろいろ観てて思うんですけども、好きなヒトが観るだけのものだとそんなに需要はないんだけど、たとえば日常生活の中での「あれってどうやるんだっけ?」とかの“How Toモノ”みたいなヤツって、案外需要があったりして。要するに、誰かの役に立ってるものってことですよね。なんかね、そういうものを作ろうかなっていう感覚に、なったんですよね。これまで自分たちが作ってきた曲が、誰の役にも立ってないのかとかはわかんないけど、ただこれまでは、誰かの役に立つようにとかそういうことを第一義に思って作ってたわけじゃなかったので。今、自分たちの置かれてる境遇を語ることで、同じような境遇にいるひとに少しでも寄り添えるようなものになるのかなぁとか。……あるいは、まぁこういうことをレコーディングして曲として残すことで、自分たちの、そのときの情況の記録にならないかなぁとか……そういうことを頭で考えてから、作った曲、という感じなんですよね。そこらへんは、今までとは違う曲ではあるかなとは思います。

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──そうすると……意識は、自分たちよりも他者に向けられていたということでしょうか


マツキ:いや、そこはヒトのことではなく、やっぱり自分のことというか。自分のそういう気持ちを、記録しときたいなってこともすごく思ったんですよね。こんなこと、いまだかつてなかったし、この先もないだろうし……まぁあっても困るんだけど(笑)。


──それは作業として、マツキさんにとって苦しいものでもあったんじゃないかと思いますが……


マツキ:あぁ~……でももう、僕はねぇ……去年2月ぐらいから、コロナ(の影響)がジワジワ、ジワジワ来て、その頃まだ僕らはツアーをやってたんだけど、2月の後半になってもういよいよダメかなってなったときに、あぁこれは、バンドってもの(存在)自体が終わるんだな、っていうふうに思ってたんですよ。ひとつ時代が変わるんじゃねーかなって予感がしてて、で、実際そうなっちゃった。3月以降、ライヴハウスも動かなくなっちゃったし、バンドというバンドは一気に止まりましたよね、音楽業界もね。で、止まって……僕はイジケ半分の気持ちもありながら、これで、淘汰されればいいなと思ったんですよ、いろんなことが。中途半端にやってるヒトたちはいなくなってくれたらいいな、って気持ちでいたんです……ほんっとに、嫌な性格なんですけど(苦笑)。バンドでメシを食ってこう!とか、ちょっとヌルい感じの、こうやっていきゃなんとかやれるんじゃねーの?みたいな感じでやっていってるようなバンドとかは、いなくなればいいなぐらいに思ってたんですよねぇ。そう思いながら、でも同時に、いやいや待てよ、俺らもその中のひとつじゃんとも思いながら……食える食えないよりも“バンドとして”生き延びたいなってのも思ったし……じゃあそこで、何ができるのかってことですよね。こういう状況は状況として、バンドなんだからってバンドだけで食えないといけないわけじゃないじゃん、ってふうにも思ったっていうか。バンドで食えないんだったらやめる、っていうヒトたちはやめてくれ、っていう感じですよね。(食えようが食えなかろうが)バンドやりたいひとたちはやればいい、どんな状況でもやり続ければいいっていう純粋な思いに立ち返ったっていうかね。……でもまぁ、全然曲作る気にはなれなくて(苦笑)。スクービーっていうのはやっぱり、ライヴの現場で曲を鳴らしてナンボだっていうバンドなので。だから、ツアーが決まるとか、先のライヴ活動がある程度見えると、新しいアルバムを作ろうっていう気になっていくんだけど、それが一切リセットされちゃったから、全然やる気が起きなくて。それでも最初の(緊急事態宣言の)頃、ステイホームの期間は、パソコンで打ち込んで曲作ってたんですよ。それが、アルバム1枚分ぐらいあったんです。で、その中で、自分がいいなと思って完成まで漕ぎ着けたのが、今回の2曲だったんですよね。

──そこは、スクービーとしては、バンドをやるっていう主題、より純粋な気持ちだけをバンドに残したというふうに捉えていいんでしょうか。なんというか……スクービーというバンドは……一般的にライヴを「観る」ということは配信でも賄えると思うんですが、スクービーのライヴで体感できるあの凄まじい感覚は代わるものがないと思うんです。で、あれだけのものを生み出していたからにはそれを奪われたところに起こる心情の変化というか、気持ちの消化? ……どうやって奮い立たせていったのか、とか……そのあたりの逡巡についてもう少し聞かせていただいてもいいですか。


マツキ:や、そこがね、そんなに奮い立ってもいないんですよね(笑)。僕はね、けっこう早い段階で絶望、失望してたんですよ。もう終わったんだ、と。もう“バンドで食っていく”っていう幻想の時代じゃなくなるんだなって本当に思ってたんです。だからギターレッスンとかもすぐに始めて。なんか、ひとより早くやっておかないとダサいなと思ったんで(笑)、できるだけ、思いついたことを何も考えずにやり始めたんです。個人でやれることからスタートさせて、それをやっていきながら自分が思ったこととか感じたことに従えばいいかなぐらいの気持ちでやってるんです。それは、うん、今も。で、最初の段階ではまだ、“(バンドで食っていくために)なんとかしなきゃいけないんだ”みたいな感じで思っていたメンバーも、いたと思います。ステイホームの期間とか夏前までは。ステイホームが解除されたら、まだなんとかなるかもしれないみたいなムードもちょっとあったし。だけど、僕の中では、解除されたところで、それまでみたいに月に10本ライヴやるとかツアー行くとかは難しいだろうなと思ってたんで。何か別のことを考えなきゃいけないと思いつつ、まぁ、バンドで別のことをやるっていうのは無理だとも思ってたんです。当時、そこらへんの温度差みたいなのは正直あったけど、時間が経つほどにメンバーも皆、そういう感じになっていったというか……なんにもできないじゃんっていうことに、気づいていくというかね(苦笑)。気づきながら、それでもまぁ、思いつく限り、できることのアイディアを絶やさないように、やれることやんないと、というところで、その手段のひとつが配信ライヴで。それをせめて月1回でもやって、少なくとも、今までバンドを好きでいてくれたひとたちに、“元気でやってるよ”ってところを届ける作業だけでもやったほうがいいよね、と。それが去年の7月。それからまたちょっとずつ動き出した、って感じで。で、今、元(パンデミック以前)に戻ってるかっていうと全然そんなことなくて、まだまだ……去年に比べれば、気持ち的にはみんなも落ち着いてやってると思うんですけど、まだ地続きな情況でやってる感じですね。

──ありがとうございます……今、絶望とともに進むような感じは、わたしも含め多くのひとが共感するところだと思いますし、だからこそ今回の2曲は聴くひとに寄り添ってくれるのかなと。……コヤマさんも、今のお話はもちろん共有されていたとは思うんですが、個人的な心持ちとしてはどんなふうに受け止め、考えていかれていたんでしょうか。


コヤマ:僕はねぇ……去年の3月1日にライヴを、有観客のライヴをやって。その翌週の週末に僕らのイベントが新代田のFEVERで決まってたんですよ。2daysで、“Young Bloods”っていう若手のバンドとやるイベントで。それをね、地方ツアーから帰ってきて、やるかやらないか決めなきゃいけない、思った以上にライヴができるって状況じゃなさそうだぞみたいな感じになってて。……で、僕は正直、その時点では(ライヴを)やらないとはあんまり思ってなかった、やったほうがいいんじゃねーかって思ってたんですけど、でもなんか……状況的に許されないというか。最終的に、不安半分、それでもやるっていう気持ち半分、そういう中途半端な気持ちじゃやれないよねってなって。やっぱりそういう状況でも、僕らがやるって言えば、お客さんは来てくれるんですよ。3月1日にやったときも、(集客について)どうだろうなって思ってたけど、僕らがやるって言うなら応援しなきゃ!って気持ちで来てくれるひとたちもいて。そういうひとたちに、感染とか良くないことが起きちゃうのはいちばん良くないよなって話になって、やめよう、延期にしよう、と。そのときに、延期の日程も、まぁ夏過ぎぐらいにできたらいいなとかって話も、一応立ててたんだけど……でもやっぱり、さっきマツキくんも言ってたように、1年とか2年とかは、今までみたいにお客さんいっぱい入れて狭いライヴハウスでやるっていうようなライヴは、できないって考えといたほうがいいんじゃねーのかって話になって。一応延期のスケジュール、下半期のライヴのスケジュールは組むけど、気持ちの半分では1、2年はライヴできないって気でいたほうがいいぞ、と。まず最初に、そういう……覚悟というか、思いではあったかな。3月から4月には、そういう気持ちに僕はなってましたね。で、配信ライヴが、僕は最初イヤで。配信ライヴにシフトしていこうみたいには、なれなかったんですよ。今までやってきたライヴってやっぱり、ライヴハウスで、閉じられた空間の中でこそ、愉しかったり解放されるものがあったりするんじゃないかっていうようなことを、朧げながらでも思いながらやってたから、すぐに、じゃあ配信ライヴやりましょうって切り替えるのがどうしてもイヤで。でも、1年ぐらい(今までのような)ライヴできないって覚悟したときに……僕らのファン、ライヴハウス来たくても来れないひとのためにやれることとしていちばんいい手段、僕らの音楽を聴いてもらう、観てもらう手段として考えたら、やっぱり配信ライヴっていうのがいいだろうというふうに僕も思うようになって。そんな感じでしたね、受け止め方の変化は。


マツキ:まぁ……配信ライヴって、以前からあったけど、自分たちに必要だなんて思ってなかったからね、根本的に。生で観てナンボだろって思ってたから。で、実際やり始めて、生のライヴとは全く違うことがわかったうえでの話ですけど、手段としてはすごくいいなと思いました。どこにいても観れるし、アーカイブ期間があれば何回でも観れるし。でも制約はもちろんあるから、実際に生で観るのとは違うってことを観るひとも前提としてくれてたら、すごくいいメディアだなと思いますよ。もし、もう少し規制が緩和されて生のライヴが増えてきたときにも、同時に配信もやるみたいなことは、可能性として残ると思うし。むしろ、手段としては残しておいたほうがいい、またこういうことになる可能性もないとは言えないし。それに、配信といっても、全て演出されたやり方じゃなくて、そこで僕らがやってるもの、起こってることを映してもらうって感覚でやってるので。でも逆に、配信でしかできないことも、今後はやりたいって気持ちもあります。有観客でも少しずつやり始めてはいるけど、配信だけのライヴっていうのも、やりたいなと今は思ってますね。


ブルースの根本は“それでも生きていく”ということ


二人が話してくれたように、最初の緊急事態宣言解除後、SCOOBIE DOとしては、積極的に配信ライヴでバンドの今を発信している。本来のライヴやその体感とは別物ではあることは前提として、しかしそこで捕らえられ、映し出されているのは、演出されたショーではなく、紛れもなく、いつでも、どんなハコであろうとも最高沸点を臨むSCOOBIE DOの姿だった。手段のひとつとして配信ライヴの有用性や可能性を活かしながら、各々が今やれること、あるいはやるべきこと、この先のバンドのあるべき姿を模索し続けている。そんな中であらためて浮き彫りになるのは、SCOOBIE DOという稀代のソウル・ミュージック、リズム&ブルース・バンドとしての本質だ。それこそ、デビュー曲である『夕焼けのメロディー』から今回の新曲に至るまで、彼らの楽曲は哀しみも憤怒も孤独も孕みながら、大きな流れへの抗いと他者に注ぐ寛容な眼差しとをもって、抑圧され打ちひしがれた心を掬いあげる。たとえば、直近アルバム『Have A Nice Day!』のラストナンバー『Summer in My Life』。まるでこのご時世を見透かしていたかのようなリリック、そして今それぞれの場所で生きづらさを抱えながら生きるひとりひとりに寄り添うような歌が、あらためて胸に迫ってくるのだ。


──『Have A Nice Day!』というアルバムが、こんな状況になる直前、同時代にあったことも、すごく意味のあることだったというか。スクービーのライヴがないっていう悔しい情況の中で何度も何度も聴いて、やっぱり……そこで踏ん張る力をもらってるなぁと実感するんですよね。


マツキ:なんかねぇ、スクービーは、そういうことばっかり歌ってたなぁ……そういう歌ばっかり作ってたなぁってことなんですよね。思えば、『夕焼けのメロディー』の頃から。要するに……“最高だぜ!Yeah!ハッピー!”っていうだけの歌は、別に自分が聴きたくないので……いや、(人生が)そうなる(最高にハッピーになる)といいんだけども(笑)、でも、やっぱりいろんなことあるから。……いろいろあっても、それでも、がんばって生きていくかなって思えるような歌が聴きたいんですよね、自分としてはね。それはやっぱり、自分がすごく影響を受けた音楽、最初に、こういうものが自分にグッとくるものなのかと思ったのが、ブルースだったってことだと思うんですよね。高校生の頃から聴き始めて……やっぱりその、ブルースの根本って、“それでも生きていく”っていうことで。どんな状況だろうが何があろうが、それでも生きるんだっていう、なんか……ヤケクソの心意気っていうか、そういうものだからこそグッとくるのかなと思うんですよね。その中には、いろんな思いがもちろんあったと思うんですね、本当に絶望に浸ってるだけの歌もあったかもしれないけども……ただ、それが歌われたとき、聴いたひとがやっぱり、そこで何かスイッチが入るとかっていうことがあったから、いまだにブルースって音楽が残ってるんだと思うし、ブルースっていうフォーマット、価値観があるんだと思う。そういうものを、日本語でやりたいなっていうのが、スクービーの根本、スクービーをやってる理由なので。……なので、聴くひとによっては、暗いねとかネガティブだねみたいな感じ方もあるかもしれないけど(苦笑)、自分としてはそれでいいかなって。去年やった配信ライヴでもいろいろ、毎回コンセプトを変えてたんで、いろんな曲をやったんですけど、なんか、どの曲もすごくハマるっていうか。“今”に、なんでこんなにリアリティーをもってしまうんだろうってぐらいの感じの歌ばっかりで……自分でも驚いたんですよ(苦笑)。でも……まぁ、そういうもんじゃん、って。そんなに、順風満帆に生きているひとって少ないと思うし……そうじゃないひとのために、スクービーが存在できればいいなぁっていうようなとこでやってきたんだと思う。リズム&ブルースっていうのは元々そういうもんだと思うし、それがブルースを踊りながら歌うってことだと思うので。……まぁ、名は体を表す、ようなバンドの意義を持って、活動できたらいいかなとは思いますよね。


──まさに、ほんとうに、スクービーはそういう存在だと思います……ちなみに、『Have A Nice Day!』のインタビュー時(2019年7月)に、コヤマさんも同じような話をされてて。きっと覚えてないと思いますけど(笑)


コヤマ:いやいや、覚えてますよ!(笑)


マツキ:今、完全に覚えてない顔だったね(笑)。


コヤマ:いやいやいや、顔だけ見たらそうですけど(笑)。でも、『Summer in My Life』の話、アルバムの話をすごく深く訊いてくれて。で、その(僕らは)ブルースだって話は、よくマツキくんもしてて。やっぱSCOOBIE DOの根底にあるものは、ブルースだって。だからって、洋楽のトレースではなくて。僕らが好きな60年代のブルースマンたちの音楽をそのまま日本語に訳しましたってことじゃなくて、もっとマインドの部分でのブルース。で、それは……なんつーんだろうな、ただネガティブな気持ちを歌ってるわけでもなく、だからといって前向きにいこうぜってことでもなく……そういうネガティブとかポジティブとかの共有ってことじゃなくて、さっきマツキくんも言ってましたけど、否定でも肯定でもなくて、“それでも生きていく”っていうことなんですよ。僕もやっぱ、それはすごく思ったし……だから、今までに作ってきた曲も、全部、そういうつもりで歌ってたなと思うし……うん、SCOOBIE DOの根底にあるブルース感みたいなものを、歌にしてたし、僕もそういう気持ちで歌ってた。だから僕も、配信ライヴで昔の曲をいろいろやったときに、やっぱ、今の気持ちにすごくハマるなっていう瞬間がいっぱいあって。それは、そういうものを音楽にしてたからで。で、音楽になったことで、音楽になってるってことはやっぱり、絶望か希望かって言ったら、絶対に1%は、希望、明るいものが、勝ると思うんですよね。51%対49%だったりとか(笑)。俺は、そういうものだと思ってます。ものすごくネガティブだったり否定だったりってことも、歌になった時点で、絶望では終わらないというか。SCOOBIE DOとしては絶対そうだなと思って、歌ってますね。だから……『Summer in My Life』のことを思い出すと、やっぱすごい、歌い出しから暗いんですよ、あの曲(笑)。


──ははは(笑)。


マツキ:暗いね、確かに暗かったね(笑)。


コヤマ:2番になっても暗いんですよ。だけど、それを僕が歌うとなったら、暗いままだと歌えなくて。なんかこう、明るい部分をきっと本能的に探すんだと思うんですけど、そうすると、“Summer in My Life”っていう言葉に、何かしらの希望を見いだすというか。“Summer”って、たぶん、人生の中で、とても“熱い季節”というか……燃えるような季節、みたいな。それは、一回過ぎ去ったら終わりではなくて、何度も何度も巡ってくるもんなんだ、自分次第でそうできるんだっていうような気持ちで歌ったら、いいのかなって。季節が巡って夏がまたやってくるように、誰の“My Life ”の“Summer”も、何度も何度も、自分次第で何度でもやってくるもんなんだって……そういうつもりで歌ってたんだと思うんですよね。だからやっぱり、SCOOBIE DOの曲を歌うときは、ネガティブな思いに浸ってそれをみんなにわかってもらおうとかそんなふうには終わらせたくない、と思って歌ってるってことなんだろうな、って。


──ほんとうに……前からわかってたつもりだったんですが、実感として、こんな時にこそ、SCOOBIE DOは聴かれるべきだ、と激しく思います。


マツキ:いいですね、聴かれたいですねぇ……たくさん(笑)。

 

 Spotify─『Summer in My Life』(2019年アルバム『Have A Nice Day!』収録)

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RELEASE

同じ風に吹かれて / Alive song

Single
(ライヴ会場&通販限定)

2020年12月9日発売
CHAMP RECORDS

2020年のSCOOBIE DOを象徴する2曲のダブルAサイドシングル。
9月30日に新代田FEVERにて行われた無観客配信ライヴの模様(全10曲)をボーナストラックとして収録!

2021年3月18日のSCOOBIE DO

Live DVD
(ライヴ会場&通販限定)

2021年5月22日発売
CHAMP RECORDS

2021年3月18日に京都磔磔で行われた有観客ワンマンライヴの模様を映像化。
特典映像・『一年振りの磔磔を味わうFUNKY4』も収録!

LIVE INFORMATION

最新ライヴ情報は
オフィシャルサイトまで

PROFILE

SCOOBIE DO

1995年結成。コヤマシュウ(Vo)、マツキタイジロウ(Gt)、ナガイケジョー(Ba)、オカモト“MOBY”タクヤ(Dr)による、ROCKとFUNKの最高沸点“Funk-a-lismo!”貫くサムライ四人衆。1999年『夕焼けのメロディー』でCDデビュー。身体にグッとくるビート、強烈な昂りへ導くしなやかなグルーヴ、心にグッと沁み入るメロディーと歌で《ファンクだけど歌モノ、歌モノだけどファンク》を確立。《踊れて泣ける》ライヴも《バンドでも笑える》トークも、超一級&唯一無二。圧倒的なライヴパフォーマンスから“LIVE CHAMP”の異名も持つ。