新作は、アダムとイブと、おむすびころりん
《ニューノーマル》な世の暗部から取り出す《新しい果実》
GRAPEVINE
取材/文:山崎聡美
INTERVIEW
GRAPEVINEのニュー・アルバム『新しい果実』がリリースされた。前作『ALL THE LIGHT』から2年3カ月ぶり、通算17枚目のオリジナル・アルバムだ。パイロット曲として今年3月に配信リリースされた『Gifted』で、不穏なイントロダクションから展開される“明らかに薹の立った世界”のエッジィな描写に、度肝を抜かれた方も多かろう。果たして『新しい果実』は、その想像を超えて緊張感を漲らせながらもしなやかで、時代を超えて連なる物語とともにバンドのもつエネルギーが大きくうねるロックアルバムだった。尖鋭的でグルーヴに満ちたバンドアンサンブルと深い音像が宿す、人間のダイナミクス。現代風刺が映す、生きることのトラジコメディー。それは、“ニューノーマル”なる摩訶不思議な旗印が掲げられるこの世界の暗がりから取り出した“新しい果実”。この世界の違和感を問いつづけてきたGRAPEVINE所以の、まさに実りとも言えるのかもしれない。
──2年3カ月ぶりのアルバムリリース、そして全国ツアーも決まって、まずはうれしい限りです。昨年から現在に至るまで、GRAPEVINEにとっても長く悶々とした時間だったと思いますが。
田中和将:去年は11月に3本のライヴをやれたんですけど、それ以外はほぼ稼働なしでしたからね。もうポッカリ空いてしまった状態だったんですけど……幸い、スタジオでの制作は下半期にやることができたので、今回のアルバムを作ることができました。
──スタジオに入られたのはいつ頃だったんですか。それまでの時間、図らずも長くなってしまった創作期間に、書き溜められていたものも多かったのかな、と。
田中:そうですね、コロナ前から曲作りは始めてましたから。というのも、思い返せば2019年、我々店じまいが早かったので。仕事納めというかライヴ納めが、もう10月ぐらいに終わってたんですね。なので、年末年始に自宅でデモを作って、年が明けたら集まって、みんなで仕上げていこうかみたいな話だったんですけど、まぁ年が明けたらこのような状況になって。昨春に予定していた対バンツアーもなくなり……で、曲はいっぱい溜まってるのに集まることはできず、みたいな状況が続き、結果的に、8月ぐらいにようやく、みんなでスタジオに入り始めたという感じですね。
──以前から自分ひとりで書き上げる曲には興味がないとおっしゃっていましたが、この状況下でも、そういうとこに変化はありませんでしたか?
田中:あぁ~、そうですねぇ(笑)。やはりバンドが、僕は好きですし。それこそ去年の春、悶々としてた頃に、その分野に長けた人はSNSで発信してみたりだとか、リモートで曲を作ってみたりだとか……そういうことをやり始める人もおられましたが、僕はそこに、特別興味もないですし、そもそもそのノウハウもないんですよね。
──やはり能動的にはなれない感じで(笑)。ちょうどその頃だったと思うんですが、文學界に書かれたコラムというかエッセーを拝読しました。ちょっと珍しいほどに、音楽、バンドっていうものに対する愛情とか信頼が非常にストレートに出ていたように思って、とても印象に残ってます。
田中:ははは(笑)。あれは文學界の方からお話いただいて、書いてみませんか?と。ただ、あまりコロナのことは書きたくなかったんですけど、だからと言って、明らかに別方向に振るとそれはそれで作為的だなと思って(笑)。なので、昨今の、一(いち)ミュージシャンの気持ちを書いたほうがいいのかな、と。
──そこは、ありのままに。
田中:まぁ若干、そっちに寄せてる感じで書きましたけどね(笑)。深刻に思い詰めて書いたっていうより、ちょっとそっちの方向にブーストして。
──じゃあ、あの筆圧から伝わってくる憤りに動かされるままではなく、実際にはもっと冷静で、落ち着いていたような。
田中:そうですね。もちろん憤ってはいるんですけどね。現状の世の中に対する……違和感みたいなものも、実際抱いてはいるんですけど。だからと言って、そこまでそれを深刻に考えてるわけでもなく、まぁ世の中ってそういうもんだろうなっていう、相変わらずのスタンスではありますね。まぁ実際、憤ってはいても、為す術なかったですしね。
──あの時点ではみんなそうでしたよね。……では、この新作『新しい果実』において、その憤りをはじめとするような渦巻いていたものは、曲として昇華された自覚はありますか。
田中:ん~とねぇ、もちろん影響してると思います。まぁ、元の曲作りに関してはコロナ前からやってたので、コロナ云々は関係ないですけれども。でも実際、集まってみんなでアレンジとか演奏始めたのはコロナ真っ只中やったわけですし、歌詞なんかは、さらにその後に描くわけですから、影響はもちろん現れてるとは思います。ただ、歌詞に関しては、これまでもそうですけど、要するに世の中のことや人間のことを描くわけなんで……特に“コロナだから”ということじゃなく、まぁ世の中はコロナなんですけど、コロナのことを描くんではなく世の中のことを描いてますね。
──なるほど。この世の中、今という時代のことを描けば、自ずと、という。
田中:そういうことですね。
──今作には、昨年11月の横浜(神奈川県民ホール)でのライヴを拝見したときに感じたような緊張感とか凄味がまずあり、さらにバンドサウンドの深さ、鋭さというものもあらためて感じていて。
田中:そうですね……レコーディングは、やっぱりなかなか集まれなかったフラストレーションもあったので、いつもにも増して漲るものがあったと思いますよ。集中力といいますか。かつ、特に他に仕事があるわけでもないので(苦笑)、わりとそのスタジオ作業に没頭できたみたいなとこもあると思う。
──聴いていて、あっ、バンドの音像だ!っていう感動がものすごく強かったです。今回も“せーの”(一発録り)で録られてるんですよね?
田中:そうです、相変わらず、やり方に関しては“せーの”ですね。もうそれしかできん、古いタイプなんですよ(笑)。
──音像のこの深さが、田中さんの言葉、詞を引き出しているということを、これまで以上に感じさせるアルバムだなぁと。
田中:そう言ってもらえるとうれしいですね。歌詞に関しても、これまでと同様、みんなで演奏しながらイメージしていくのも相変わらずなんで。
──まず頭の『ねずみ浄土』から、人間というものの罪深さを思い知らされるというか、ここからこういう音楽のストーリーが展開するから覚悟してねみたいな、いろいろ突きつけられるオープニングで。
田中:そうですねぇ(笑)。アルバムタイトルにもつながる曲なんで、そういう意味では象徴的かな、と。今おっしゃってくれたような、立ち位置になったかなと思ってはいます。まぁでも、曲順に関しては歌詞のストーリーはあんまり考えてないんですよ。どちらかと言えば(曲の)流れとかつながりとか、音のほうで並べてることが多いですね。で、『ねずみ浄土』が1曲目っていうのは、やっぱりいちばんギョッとするんじゃないか、という感じで。
──ギョッと、しました(笑)。日本の昔話である“ねずみ浄土”であったり旧約聖書の“アダムとイブ”であったりの引用は、どうしても人間に対する戒めというものを感じさせるものでもありますが、そのことは田中さんにとってどういう動機付けになってるんでしょうか。
田中:そう、ですねぇ……僕から発信で戒めってなると、説教くさいことになってしまうんですけど、たとえば、旧約聖書であったり文学作品であったり、そういうものって所謂“教訓”を含んでいるというものじゃないですか。で、おそらく、人間の行動や行為や考え方みたいなものは、国や舞台や時代は違えど、やってることにそんなに変わりはないんじゃないか、と。ただそこに、多少の宗教観みたいなものが加わってきたりする。それで旧約聖書を引用した場合、日本の土着的なものをぶつけたほうが面白いかなと思いまして……《おむずびころりん》を、ぶつけました(笑)。
──曲のピークに達する直前の《おむすびころりん》(笑)。
田中:そうなるように“おむすびころりん”は設定してました。曲のアレンジの出来もそうですけど、『ねずみ浄土』に関してはかなりいろいろうまいこといったんじゃないかと。ただあんまり、イマドキではないかもしれませんが。
──どのへんがイマドキではないと感じるんですか。
田中:や、基本的に何事も、ガッチリ説明してくれるものが求められてる時代じゃないですか。
──あ~、わかりやすいものかどうかというところ。
田中:だから、こういう……問いかけてはいますがその答えもないですし、伏線も回収しませんし。そういうものって、「わからん」で済まされる場合も多いんじゃないかなという気はしてますよ。
──「わからん」ひともいるかもしれませんが、それ以上になんか今回は、曲の解釈がよりさまざまに生まれる、それぞれが置かれている状況だったり暮らしている場所だったりですごく多様になるだろうというのは、ちょっと思いました。
田中:そうですよね、うん。そうであるべきだと思いますし、幸い、今のコロナ下の状況っていうのは、わりとそういうことが起きやすい、というか。コロナになって唯一よかったのは、わりとそういういろんなことに注目する人が増えてるんじゃないかなって気がすることで。
──この世の中で起こっているいろんな出来事や事柄に、みんなが気づきはじめているということですか?
田中:そうです。たとえば、世の中の、今始まったようなことじゃない社会的な問題が、このコロナ下でどんどんあぶり出されてるじゃないですか。今世界中みんな、危機(の只中)にいるわけですし。誰もが当事者の立場になって、そういう社会的な問題にも目を向けざるを得ない。目を背けてはいられないという状況になってるんじゃないのかなと思うんです。そこは唯一、いいんじゃないかと思いましたね。
──おっしゃる通り、生きづらさも多くのひとにとって他人事ではなくなっていますし。
田中:まぁそれでも、結果的にうまく逃げ切るひともいるんでしょうけど。そうであるとしても(現状から)目を背けることはできないですからね。
──それを踏まえると、『目覚ましはいつも鳴りやまない』の《目覚まし》も、ますます警鐘として聴きたいところではありますが、それだけでもない感じで。現代的なソウル、R&Bのサウンドによってとても洗練された語り口になっていて。
田中:今回のアルバムで唯一と言っていい、明るい曲ですしね(笑)。なので歌詞も、明るいもの、ポジティブなものにしたいなと思ってたんですけど、ただ……ただのポジティブではいかんな、というのは常に思ってるので。やっぱりその、警鐘であったり、啓発であったり、考えるべきことは多いけど、っていうようなニュアンスを多く含んでますね。
──ニュアンスを含む、確かに。……この曲もそうなんですが、今作は「覚める」ことや「醒める」ことが表現として多く使われているように感じます。で、今作のギターの音が、いい意味で不安定というか、大きな情緒の揺れみたいなものを孕んでいて、その音像からの心象風景は、覚(醒)める前の風景と覚(醒)めた後の風景、どちらをも喚起する感じがあって。それは意識的な、というか意図するものだったんでしょうか。
田中:ん~っと……作る前からそう意識してたわけでは決してないですけど、でもやっぱ、作ってるうちにそういう意識は出てきた、あったと思います、少なからず。もちろんそれが全てではないですし……ましてやアレンジや音色っていう話になってくると、メンバーがそれぞれ思い思いに抱えていることで、それが出ているものなので、なかなか言語化はしにくいですけどね。でも、そういうアレンジや音色から僕の歌詞が導き出されてたりもするので、やっぱり(意識は)ゼロではないですし、というような感じですかね。
──“覚(醒)める”という感覚の表出の多用は気づかれてたんですよね。
田中:うん、あとから気づきましたね。そういった歌詞が多いなぁと。そこにはやっぱり、先程も言ったような、社会の動きであったり、今何か変わろうとしてる感じであったり……でも、もしかしたら変わらないことなのかもしれないですし、日本がこれまで全然変わってこれなかった恥ずかしい部分も露わになってますし……うん、そういったいろんなことが含まれてると思います。なので、今回のアルバムを聴いてもらえるんだとすれば、何かを考えるきっかけであったり向き合うヒントであったり……そういう聴き方をしてもらえたら幸いですね。
──続く『Gifted』もまさにそんなきっかけに満ちていて。先行配信としてアルバム収録楽曲から最初に公開されたとき、今のGRAPEVINEが踏み込んだ景色の深みを感じました。
田中:楽曲の作り自体は、GRAPEVINEとして非常に得意なタイプやと思うんですけどね。わりとサビがエモくて、所謂、音響寄りのギターロック、90年代から00年代にかけてのマンチェ、シューゲイザーを通ってきた所以の、オルタナティヴロックというか。ただ、やっぱり録音していくと、ドラムがなかなかいい音で録れたりとか、ギターも鬼気迫るものがありまして。そこに触発されて、歌詞を描きましたね。不穏じゃないですか、イントロにしても。そういう不穏さ、緊張感みたいなものを、たぶん歌詞でも描きたかったんだと思うんですけど。
──頭から不穏で、それがけっこう長く続くのも、聴きどころというか。
田中:サブスク時代に、よくこんなん出したなと言われました(笑)。
──そこはレコード会社さんの英断ということでしょうかね(笑)。
田中:結果、よかったと思いますけどね。1分のイントロっていうのは、なかなかない(笑)。久々に出した曲で、「なかなか歌けえへん」みたいなことって、なかなかできないと思います(笑)。
──それだけでもう、何かある、と思わされますし。
田中:緊張感、走りますよね。この間(4月25日)の日比谷野音でも後半にやったんですが、評判もよくて。ちょうどご時世的にも合ってますしね。
──そこから一転するのが『居眠り』。以前のインタビューで田中さんと話した「明るい諦念」というものを思わせる1曲で、曲としてもGRAPEVINEらしさのあふれる曲かと。
田中:あ~……そうですね、諦念感ありますね。あとは、亀井くんのグッド・メロディーな曲なので、これもわりと、GRAPEVINEが得意とする曲ではあると思います。あと、さっきの今作のニュアンスっていうのは、おそらくこの曲の、たとえば西川ギターの感じとかを言われてるのかなと。かなりピッチのあやふやな感じとか。
──あ、そうですね、この曲のギターの印象は強かったと思います。
田中:そこから僕も、『居眠り』みたいな歌詞を思いついたんですよ。
──あの、“舟を漕ぐ”って言うじゃないですか、居眠りすることを。漕いでいる場所が、此岸と彼岸の間、要は三途の川なんですけど。三途の川から、彼岸にも此岸にも見える情景っていうのを見ているような感じで。そういう絵図が宿っているように感じたというか。
田中:そうですね、サウンドに関してはおそらく僕もそういうイメージを抱いて、そこから描いていったんだと思います。
──じゃあけっこうすんなりと。
田中:すごく推敲するタイプなんで、それなりに自分としては時間はかけてるんですけど、アイディアが出てからはスムーズはスムーズでしたね。ていうか最近、ほんとスムーズです、歌詞は。悩んでそれなりに時間かけてはいますが、こういう仕掛けで、こういうことを描こうみたいなのは、わりとスルッと、きますね。
──それは明確なゴールみたいなものが見えてるとか、何か理由があるんでしょうか。
田中:理由……ん~、ゴールはないんですけど、なんか……イメージみたいなもの、その曲が描くであろうイメージ、その尻尾を掴むのが早くなってるかもしれないですね。なんとも説明しにくいんですけど(苦笑)。まぁそれなりに年をとってきた開き直りみたいなものも、出てきてるのかもしれない。
──開き直り……経験値とか?
田中:まぁカッコよく言えば。悪く言えば……今まで躊躇してたものも出すようになってきてるのかもしれない。その曲の、核みたいなものがあったとしたら、それは描かないといけないじゃないですか。だから、違う言い回しにするだとかいろんな方法論をとるんですけど、そのあたりでさっき言った経験値だったり相応の図々しさだったりが出てきて、おそらく躊躇の形も変わってきてるんですよ。昔から言ってるんですけど、こういうものって創作物ですから、何かをメタファーして人にメッセージするもんですから、単なる感情の吐露になってはいけないっていうのは、自分の命題としてあるんですよね。なので、描き始めたときが感情の吐露だとしたら、それをちゃんと寓話にするまで精査、推敲する。その推敲する過程で形は変わって、部分によってはよりエグくなってるのかもしれないし、もっと剥き出しになってるのかもしれないんですけど、それはたぶん曲によりけりなのかな、と。
──なるほど……その、一般的な経験値という言葉のイメージで捉えてしまうと、当たり障りのないもの、綺麗に単純化されたものになっていくような気がするんですけど、GRAPEVINEや今作に関して言えば真逆で。おっしゃるようにもっとエグくて複雑なもの、言葉にできないことや声にならないものを孕んだまま、寓話として、物語として成ってるところが、今作の凄味のようなものになっているようにも思って。だからこそ、その過程に興味が沸くというだけの話で……すみません(苦笑)。
田中:そうですね、決して当たり障りのないものを作ろうとは思っていないですから。ただ、どのへんをチョイスし、どうコラージュするのか、というのは難しいですね。かつ、曲には曲だけでストーリーがあるじゃないですか。やっぱり自分でその曲を演奏しながら、あるいは聴きながら、やっぱりグッとくるものをのせたいわけですから……こういう場面ではちょっとエグい、だとか、こういう場面ではちょっと間抜け、だとか……っていうバランスを、整えていく感じですね。自分がグッとくるためには、どういう構成が必要かみたいなことを考えながら描いている感じです。
──ありがとうございます。あの、ちょっと脱線しますが、エグいとこ、間抜けなとこという話で思い出したんですが、村上春樹がインタビューのなかで【物事を平衡化するのはユーモアである】というようなことを話していて。シリアスになると物事は安定が失われ矮小化する、ユーモラスであるためには客観性が必要であるというような意味合いなんですが。
田中:(笑)。
──田中さんの描き方にも、これまでもそうですが、今作でもユーモアと捉えられるような言葉遊びとか古今東西の引用とかがものすごく発揮されていて。そういうところは、どういった目的というか効果を狙ってトライされてるんでしょうか。
田中:同じなのかどうなのかはわかりませんが……そういう変な部分が入ってないとおかしいと感じるんですよ。ずーっと真面目な、シリアスなシーンだけで最後までいくと、おかしいなって思うんです。
──居心地が悪い、というようなことですか。
田中:そうですねぇ、うん。なんかこう……逆に、笑えてしまうというか……何を、カッコええことばっかり言うてんねんってなるっていうか(笑)。だから、どこかすっとぼけた部分というのは、必ず必要ですね。それはアレンジにしてもそうですし、音色とか、そういうこともそうですね。
──現代的な音の構築の中に、80年代ぽいシンセが入ってきたりとか、今作でもありますよね。
田中:そういうとこが必ず、たくさん入ってます(笑)。カッコつけのバンドやったらたぶん、なんでそこでそういうことすんねんっていうようなのが満載やと思います。逆に言えば、そういう歪なところが必要というか。そっちのほうが、生身に近いんだと思うんですよね。だからたぶん、そういう色を必ず差し込んでしまう、歌詞にしてもアレンジにしても。
──歪な部分あっての人間らしさ、なるほど。そういう感じは次の『ぬばたま』でもまざまざとあり……この歌い出しなんてちょっとオダサク(織田作之助)の小説のように秀逸な書き出しで、一気に惹きつけられました。
田中:特別オダサクを意識したわけではありませんが、歌い出しの歌詞っていつも、すごい重要やと思ってて。
──その1行が捻り出されると、逆にあとはスッと導き出されるようなとこもありますか?
田中:そうですね。だから1行目を最初に考えることは多いですし、他の部分から思い浮かぶときも1行目が決まると、進みやすいですね。
──この曲に関して言えば、“ぬばたま”という枕詞はじめ歌の響きとオリエンタルなサウンドが交わるところの世界観が、もう本当に艶かしい。
田中:この曲、アレンジもうまくいったので、けっこう気に入ってるんですよ。アルバム全体的にそうなんですが、なんかどこかしら、ちょっと“和”というか。この『ぬばたま』なんかまさに、ちょっと雅な感じもしますし。歌詞については、放っとくと、洋楽への憧れであったり、アメリカン・ニュー・シネマ的な価値観への憧れであったりが、世代的に出てきてしまうんで(笑)……ここ数年、そこからの脱却を、ということは考えていたので、その作用かもしれないですね。
──最後のフレーズ、《白けて》という表現に、興が醒めていく様と空が白んでいく様子がおさめられ、夜の夢は《もうおしまい》と締められますが、その美しさと残酷さに唸りました。
田中:これもアレンジの構成の妙でもあるんですよね。足元、リズムが外されて、平歌(ヒラウタ)でポンと終わるっていう構成は、まさにこういう歌詞になるだろうなと、してやったりな感じです(笑)。
──そんな見事な仕掛けでGRAPEVINEの趣を堪能したあとに、『阿(あ)』です。はじまりの意味を持つ“阿”であり、多くの人間の業に関わる言葉を為すという……意味深ですよね。
田中:そうなんですよ、結局そこから思いついたんですけど。仏教用語で“阿”ははじまりであったり、全ての原点であったりみたいな意味合いを含むのにも関わらず、“阿(おもね)る”という言葉になるじゃないですか。そこが非常に面白いなと思いまして。
──ですね。しかもそれがこのご時世にぴったりとハマってしまう。
田中:そうですね。この曲もアレンジが若干エキゾチックになったこともあって、引っ張られましたね。セッションで作った曲なんですよ。お聴きの通り、あんまりテンポの速い曲もないですし、ロックチューンも少ないので(笑)。1曲ぐらいセッションで作った曲を入れとこう、と。で、他の収録曲にないようなタイプのやつをセッションしよう、ベースから始まる曲を作ろうってだけでやり出したんですけど。
──これまでも毎作、セッションで作られている曲はありますけど、その最中ってどういう点を意識して臨まれてるんですか。
田中:そうですねえ……意識としては手ぐせにならないようなものを少しでも、と。斬新なものをとまでは考えてないんですけど、今までにやったことないようなものを、というのは共通の意識としてあると思います。で、この曲なんかは意識的に尺(譜割り)を変にしたりしていますね。効率化って言うと、ちょっと語弊がありますが(苦笑)……曲のベーシックが大体できてきたら、ここにこういう展開をぶち込んでみよう、みたいなことを作為的にやるんです。でも実際にそれをやってみると、偶然のことが起こったりもする。そういうことも含めて、意図的に今までにないものを作ろうというセッションにはなってますね。
──そのジャッジって、いつも決まったひとが担うんですか?
田中:プロデューサーがいるときは、プロデューサーの言うことに乗っかるんですけど(笑)、今回なんかはホンマに、場面場面で違いましたね。あーだこーだ言いながらやっていって、その場面場面で「いや、ここはこっちのほうが絶対いいんじゃないか」って強く言ったひとの意見が通る(笑)。そこは、それぞれの野生の勘ですね。で、やってみて、それが覆ることももちろんあるんですけど、そういうことを繰り返しながらやっていきます。
──……なんか、そういうお話を聞いていると、パンデミック忘れますね。これこそバンドの醍醐味だ!みたいな気分がすごく盛り上がってきます。
田中:あぁ~、それはうれしいですね。でもまさに、僕らも作ってるとき、そういう感じでしたから。ライヴもないですし、外にも出られないような状況でしたから、スタジオに籠ってるときは非常に集中してたし、そういう集中力、密室感みたいなものはたぶん、音に出てると思います。
──そうですね。最初にも言いましたが、まさに緊張感の漲るバンドの音像が収められてると思います。ちなみに、今作のジャケットの静物画なんですが、あれって本物を描いてるんですか?
田中:写真を加工して、静物画っぽくしています。
──え!そうなんですか。てっきり、フェイクを本物として描いているのか、と。
田中:本物だか偽物だかわからない感じで、暗いけどカラフルっていう感じが、今回のアルバムにすごく合ってるんじゃないかなと思いますね。
──何を本物、真実として判断するかは、聴き手に委ねられているということでもある?
田中:そうですね、そういう聴き方をしてもらえればいいなと思いますし、たぶん、ここにその答えが書かれてるわけじゃないので、いろんな聴き方していただいて、ある日ふと、「あっ……!」と思ってもらえれば、それがいちばん正しい気がします。
──そして、今作をもってのツアーがいよいよ福岡から始まります。久しぶりですね、ツアーも、福岡始まりも。
田中:そうですよ、もう、全国ツアーも長らくやれてないですから。この状況下でどうなるかわからないというところはまだありますが、ツアー好きバンドとしてはいろんなとこ行きたいですからね。初日の福岡なんて、たぶんみんなすごい上がってますよ。
──ライヴに来られる方々も、いろんな思いを抱えて来られるのではないかと思いますが。
田中:お客さんには、変な感慨みたいなものは持って来ないでほしい。変に思い込んで肩に力が入ってしまうのは、やる側も、観る側も、あんまりよくないんじゃないかなっていう気がするんですよね。フラットな感じで、来て、居てくれるのがいちばんいいかなと思います。何事もなかったように(笑)。
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LIVE INFORMATION
PROFILE
GRAPEVINE
1997年ミニ・アルバム『覚醒』でデビュー。メンバーは田中和将(Vo,Gt)、西川弘剛(Gt)、亀井亨(Dr)、サポートメンバーとしてレコーディング、ライヴともに金戸覚(Ba)、高野勲(Key)を迎えている。1stアルバム『退屈の花』(1998年)から『ALL THE LIGHT』(2019年)まで16枚のオリジナル・アルバム他、数多の作品をリリースしている。2020年は11月に神奈川・大阪・東京でのツアーライヴを開催、今年4月25日には日比谷野外大音楽堂にて単独公演を敢行した。6月12日(土)福岡DRUM LOGOSより、今作『新しい果実』を携えた全国ツアーがスタート、ファイナルは9月15日(水)東京LINE CUBE SHIBUYAにて開催。