あの場所で、生きてまた会おうぜ!
“普通”のライヴを“普通”にやる
それが最低限で、最高の夢──
怒髪天
取材/文:なかしまさおり
INTERVIEW
1991年、メジャーデビューと同時に上京。2021年に“東京三十年生”となった怒髪天。昨年12月8日には“アルバム3タイトル、全30曲”を同時リリースし、大きな話題に。何年経っても色褪せない普遍の名曲たち。それを“今”の彼らにもっとも近いスタイルで、改めて新録(一部、再録)した、この3作について、ヴォーカル・増子直純に話を訊いた。
──2020年はキャパ1/2で開催した日比谷野外大音楽堂公演や、その映像をひっさげ全国を回ったフィルムギグ・ツアー、アルバム『ヘヴィ・メンタル・アティテュード』のリリースなど、コロナ禍でありながら、怒髪天らしいやり方で活動を展開されていましたが、2021年も含めて、この2年間を改めて振り返ってみて、思うことはありますか?
「やっぱりコロナ禍で、どの程度ライヴやツアーができるのかが、最初は分かんなかったから。2021年は、とりあえずレコーディングをメインにスケジュールを組んどけば間違いないだろうということで、最初からアルバムは作るつもりで考えてたね。とくに去年は、北海道から東京に出てきて30年にあたる年だったし、じゃあ(それにちなんで)30曲、録ってみるか?みたいな感じで考えてたんだけど、意外とライヴが(スケジュール通りに)やれちゃってね。結果的には、今まで活動してきた中で一番忙しいかも?っていうぐらい大変だったね。だって、アルバム3枚分だよ?しかも、その間、友康は大人計画の劇伴(作・演出 / 宮藤官九郎、大パルコ人④マジロックオペラ『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』)もやってて、その制作とレコーディングとツアーが被ってて…もう、頭、爆発しちゃいそうなスケジュールだったよ(苦笑)」
──そんなタイトなスケジュールの合間を縫って、レコーディングされた今回のアルバム。3作のうち2作は現在、廃盤などで入手困難となっているインディーズ時代のアルバムを中心としたもので、もう1作は、昨年8月に配信シングルとしてリリースした新曲、プラス、他アーティストへの提供曲を“セルフトリビュート”という形で収録したものとなっています。
──とりわけ『リズム & ビートニク’21 & ヤングデイズソング』には、2004年のオリジナル盤6曲に加えて、1993年のオムニバス盤『COME INTO THE WORLD』から2曲、1994年の8cmCDシングルから2曲、さらに未音源化の『COME BACK HOME』までもが収録されていて、デビュー当初からのファンにとっては、まさに“待望の”1枚となっています。『痛快!ビッグハート維新’21』も含めて、すべて新録(一部再録)とのことですが、この2枚を改めてレコーディングしてみて、いかがでしたか?
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「いやー…大変だったね(笑)。新曲ってさ…詞先もあるし、曲先もあるけど、だいたい友康がメロディ作ってくるじゃない?それに歌詞をのっけて、1回(仮歌を友康に)歌ってもらうわけ。で、今度はそれをレコーディングまでにちゃんと覚えて、その“正解”に向かってぶつけていくわけ。でも、旧譜の場合、曲もあるし、レコーディングもしたことある。だから(お手本的な仮歌は)要らない、大丈夫…そう思ってたんだけど、昔のやつほど、ピッチもずれてるし、メロディもあやふやだし、結局、そこから全部、検証し直さなきゃいけなくて、とにかく時間がかかったね」
──ライヴなどでは、2014年の結成30周年公演以降、初期の楽曲もわりと頻繁に演奏されるようになった印象がありましたが、レコーディングは大変だったんですね。
「確かに、そう考えると(周年を機に)せっかくだから、曲を見直してみよう…みたいなベーシックな部分での予兆はあったかもしんないね。ただ、実際にやってみたら、ほんと大変で…キーなんかも、普通は昔の曲を再録すると、みんな下がるんだけど、俺の場合、1音から1音半、上がってるからね(笑)」
──なるほど。そういう意味では、より“今のライヴで聴いている形”に近い仕上がりになっている、というわけですね。それにしても曲自体、最近のものと並べてみても全く違和感がなく、むしろ、この時代だからこそ刺さる言葉もたくさんあるなと改めて思いました。
「そうね。ただ…やっぱり(当時の方が)望郷の念は強いよね。別に、そんなに(ふるさとに)帰りたかったわけじゃないけど、“心にずっと引っ掛かってる影”というかさ。上京してから、しばらくは“嗚呼、東京か……”っていうのは常にあったから。…まぁ、当時の日記みたいなもんだよね」
──歌うと当時の光景みたいなものが?
「浮かぶね。いろいろ思い出しちゃうよね。だから、今もライヴでやったりもするけど、すごく困るというか…恥ずかしいよね。ラブソングとかは特に…昔書いたラブレターをもう一回、人前で読んでるようなもんだから。マジで具合悪いよね(笑)」
──ただ、1995年のオリジナル盤『痛快!ビッグハート維新’95』なんかは活動休止直前だったこともあって、歌詞にもその時の気分みたいなものが入っているとは思うんです。だた、それを“今の怒髪天がやっている”というところに、ちょっとグッときてしまいます。
「そうだね。これはバンドの成長が、かなり見えるアルバムになったと思うよ。俺らに限らず、曲作るっていうのは、いろんな曲を聴いて、自分なりに吸収して、咀嚼して…出すわけじゃない?でも、その咀嚼が(’95年盤は)甘い。好きなジャンルとか、ルーツがまんま透けて見えるっていうかさ。それが若さでもあるんだろうけど、本来、すごい力量がなきゃ出来ないようなことをまんまやっちゃってる。…というか、それが“出来てない”ことにも気づいてなかったんだけど(笑)。それをやっと今、普通に出来るようになったのかなっていうのは、あるよね」
──『痛快!ビッグハート維新’21』では、友康さんのソロ曲『風の中のメモリー』も聴くことができます。
「すごくいい曲だよね。でも、“今だったら”きっと俺が歌うと思う(笑)。“今だったら”ね。やっぱり当時はスキルが足りなかったのもあるとは思うんだけど、曲調によって“これ、俺歌えないな…”っていうのがいくつかあって、この曲も出来なかったんだよね。ただ、今はね、無いの!どんな曲でも、アレンジ次第。自分らがやれば、ちゃんと“怒髪天の曲”になるし、俺が歌えるようアレンジできるから。まぁ、こんだけの年数かかって、やっとかよ!とは思うけど」
──『ジャカジャーン!ブンブン!ドンドコ!イェー!』については、いかがでしたか?
「楽曲提供って、普通は曲作って、歌詞のっけて、歌入れて(先方に)渡すパターンが多いから、アレンジに関してはだいたい丸投げなんだけど、それを今回、自分たちでバンド演奏に置き換えてやるっていう作業が、結構大変だったね。でも、やってみて面白かったのは、年代も時期もバラバラに作ったはずなんだけど、並べてみると、ほとんど(の曲のテーマ)が“祭”と“男”ばっかりで(笑)。なるほど、俺らに来るオファーって、こういうのなんだな、っていうのはよく分かったね」
──(笑)。でも、それは怒髪天の持つ魅力の一つでもありますし、こうしてバンドへ持ち帰ってなお、違和感なく歌える曲が多いというのも、すごいことだと思います。
「それこそ関ジャニ∞に提供した曲なんかは、先方からいつも“怒髪天がやっても恥ずかしくない曲が欲しい”と言われて書いてたから。ただ、一方では、ももクロとかもそうだけど、どれも“自分が歌うこと”は想定しないで作ってるから、どっか他人事というか、自分であり自分じゃないような部分はあるよね。“ここ、俺が歌うんだったら、この表現にしねぇな、でも、逆に自分たちじゃ絶対できないことも提供曲だったら出来るかな”とか。それが今、こうして自分らに(ブーメラン的に)返ってきてるっていうのが、なかなかね…新鮮ではあると思うんだけど(笑)」
──このアルバムには、昨年8月から先行配信されていた同タイトルの新曲『ジャカジャーン!ブンブン!ドンドコ!イェー!』も収録されています。いつまで経っても出口のみえないコロナ禍の中で、この痛快な歌詞とメロディが、どれだけ多くの人の気持ちをスカッ!とさせてくれたことか。
「これはね、2021年の、閉塞感に見舞われてしまった状況の中で、“ロックに出来ることって何かな?”ということを考えて作った曲。周りのヤツとか、自分も含めて、“今、何が必要なのかな?”って考えた時に、やっぱ、コレだろ!と。それこそ、今のロックって、サウンド的にも、ちょっとカッコ良くなりすぎてると思うんだよね。でも、本来ロックって、もっとダサくて、暑くて、バカバカしいものなんじゃないの?って。俺たちはそこに憧れてやってきたし、それをもう一回、取り戻してもいいんじゃないかなと思って。曲としてもバカバカしくてスケールのでかいスタジアムロック的なもの、いちばん抜けがいいものを書いた。なにより、“たかがロック”。だけど、やっぱり“されどロック”だろう!っていう部分をね、もう一回、再定義したかった。で、(この曲を聴いた)いろんなバンドのヤツらに言われたよ。“ヤラれた!”って(笑)。やっぱ、みんな思ってることは一緒なんだね。ただ、歌詞にはちゃんと辛辣な部分も盛り込んであるから、タイトルは、ちょっとバカバカしいくらいの方がいいと思って、その辺のバランスはすごく考えたね」
──増子さんが常々おっしゃってる“シリアスなことほどユーモアをもって伝える”という作戦ですよね。ちなみに、この曲のMVは北海道で撮影されていますね。札幌・すすきのを象徴するニッカの看板前から、狸小路商店街、KLUB COUNTER ACTION、それから小樽の北運河や花園銀座商店街(嵐山新地)、また、2020年、2021年とコロナ禍で中止となってしまった『RISING SUN ROCK FESTIVAL』の会場(石狩湾新港樽川ふ頭横)で演奏するシーンに、非常に胸が熱くなりました!
「うん。やっぱりふるさとの景色は特別だからね!コロナ禍で2年も実家、帰れなくてさ。ちょうど(MVの)公開日も8月13日で、本当ならライジングの初日で。そういう部分も含めて、いろんな想いの込もった、いいMVができたなとは思ってる。ただ、さっきも言ったみたいに、去年はライヴとレコーディングでかなり忙しくて。その合間で弾丸的に行って撮って来たから、北海道の滞在時間はホテルに4時間ぐらい?だったんじゃないかなぁ」
──え!?じゃあ、久しぶりの故郷をゆっくり楽しむ時間は……
「ない(笑)!!でも、それでもやって良かったなとは思うけどね」
──そのMVの撮影後記動画で、上京する30年前とは札幌の街並みもだいぶ変わったなと皆さんおっしゃっていました。“東京上京30年生”としては、当時の自分と今とで何か決定的に変わったなと思う部分はありますか?
「そうねぇ…変わったものより、変わらないものの方が多くはあるんだけど。やっぱり決定的に違うのは、音楽的な部分で、思ったことを曲として具現化出来る速度が上がったこと。もちろん、バンド自体のスキルが上がったっていうのもあるんだろうけど、例えば10思ってることを、どんなに頑張っても7ぐらいまでしか具現化できなかったのが、今は9ぐらいまで出来るようになったっていうのはデカいよね。これは昔の曲を今回、再録したことでまた気づいたことでもあるんだけど、やっぱり30年間、続けてやってきたことで体が覚えたとでもいうのかな。自分なりのやり方がちょっとは身についてきたっていうことなんだろうね。まぁ、だからといって、これが他の人にとっても正解かどうかは分からないけど、そこが大きく変わったよね」
──もう北海道にいた年月よりも、東京に移ってからの年月の方が長いですよね?
「うん、全然長いね」
──でも、それでも“東京三十年生”という響きには、どこか“東京人には、ならないぞ”という気概のようなものを感じます。
「それは良くも悪くも、そうなんだよね。こんだけ住んでても、やっぱり“東京は俺の街”だとは思えないし、どっかでずうっと“戦いに出てきてる”って感じは、あるもんね、今でも。もちろん、地方でも今はネットがあるから、バンドでも何でも、地方在住のまま出来るじゃない?でも、“勝負に(東京に)出てくる”っていう、その一つの物理的な行動っていうのは、非常にアナログな考え方かもしんないけど、退路を断って覚悟を決める、自分の思う道を突き進むという時の、一つの力になるとは思うんだよね。ま、そんな俺も多少は区民税払ってるし、今は杉並区民ぐらい…にはなったかなぁ?いや、まだ荻窪か西荻窪だな(笑)。それぐらいが“地元感”出てきたところで、まだまだ東京人じゃないんだよなぁ」
──さて、そんなさまざまな想いの詰まった3枚のアルバムを引っさげて、3月4日から、全国19カ所23公演を巡るツアー「古今東西、時をかける野郎ども」がスタートします。いつもながらサブタイトルがユニークで。4月の公演までが”タイムリープ’22〜悩み無用〜”、5月以降が”痛快!ビックハート維新’21〜遅すぎたレコ発ツアー〜”と、”タイムリープ’22〜あなたのド髪きっと生えてくる〜”の2本立て(笑)です。内容もサブタイトルごとに違うということですが。
「そうね。今回出した3枚のアルバムを中心には、もちろんやっていくけど、他にもいろいろ考えてはいる。ひとつは、当時の雰囲気というかね、(アルバムのジャケ写や『東京三十年生』特設サイトのスナップ写真を)少しでも再現しようかなと思って、何十年かぶりに去年から髪を伸ばしてるんだけど……。もう、邪魔で邪魔でしょうがないんだよね(苦笑)。いいこと一個もないもん!ラーメンとか食っててもさ、何をやるにも邪魔じゃない?まだ(ヘアゴムで)縛れる長さでもないし、もう丸坊主にしたい!!切りたい!!」
──でも…ツアーまでは伸ばすんですよね?
「伸ばす(笑)!!多分、もう一生伸ばすことはないだろうし、せっかくだからこのツアーが終わるまでは伸ばそうと思って。どこまで伸びるかなぁ?(ツアーの最後の方では)バッサバサいってるだろうね(笑)」
──では、ツアーに参加される方はその辺も楽しみにしてもらって(笑)。あとは、話せる範囲で構いませんが、何か今回のツアーでやってみたいアイディアとかは、あったりしますか?
「そうねぇ…なんか、やっぱり“普通のライヴ”がやりたいよね(笑)」
──“普通の”ですか。
「うん、普通の。それだけでいい。小さい箱でもどこでもいいけど、細かく全国回ってさ、コール・アンド・レスポンスして、みんなでワイワイできるようなライヴがやりたいよね。それが最低限であり、最高の夢。それに尽きるね!」
──そうですね。今はまだフロアでの発声はできませんが、またそういうライヴが出来る日が早く来るといいですね。さて、福岡では3月20日(日)福岡BEAT STATION、3月21日(月・祝)小倉FUSEでのライヴが予定されています。心待ちにしている皆さんへ、最後にメッセージをお願いします。
「ホントにね、コール・アンド・レスポンス出来なくても、それはそれで楽しめるようには、きっとするから。ぜひ来て欲しいよね。もう、もう間違いなく楽しいから!!」
「このコロナ禍で、俺らは完全に必殺技を封じられた状況で戦ってきたわけで、大変なことも多かったよ。最初は何が正解かなんて分からないし、きっと最後まで分からないだろうな…とも思ってたけど、それでも俺らだけじゃなく、スタッフ、現場一丸となって、いろいろ試行錯誤をしていく中で、自分たちとしては、“なかなかの正解”を出せて来たんじゃないかなとは思うんだよね」
「だから、もし今後、ライヴハウスがまた仕切り直しになったとしても、逆に、そこから“さぁ、どうする?”っていうふうにも考えられるし、それはそれでちょっと楽しみでもあるので、ぜひ、そういう時間を一緒に共有してもらえたらなと思います。どんなに配信(技術)が発達しようがね、やっぱり(音楽を)“生で聴く“ということは、その時間を一緒に共有して“体験する”っていうことでもあるから。そういう楽しみをまた一緒に持てるような機会があればいいなと思います。待ってます!」
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LIVE INFORMATION
PROFILE
怒髪天
1984年札幌にて結成。1988年より現メンバーの増子直純(Vo)、上原子友康(Gt)、清水泰次(Ba)、坂詰克彦(Dr)が揃い、本格的な活動をスタートさせる。1991年上京、クラウンレコードよりアルバム『怒髪天』でメジャーデビューを果たす。その後、1996年〜1999年の活動休止期間を経て、再始動。以来、“JAPANESE R&E(リズム&演歌)”をバンドの旗印に、人間味溢れるキャラクターと魂を揺さぶる圧倒的なライヴ・パフォーマンスで幅広い層のファンを魅了し続けている。2014年には自身初の日本武道館ワンマン公演を大成功のうちに収め、2019年には増子がNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」に出演するなど、メンバーそれぞれの活動域も拡大。通常のリリースやツアーに加えて、楽曲提供、映像/舞台作品への出演、番組MCなど、ロックバンドのイメージにとらわれないボーダレスな活躍を見せている。今年は“メンバー全員に関する、お楽しみな報告”(!?)も控えているそうなので、公式サイト、ツイッターなどで情報をこまめにチェックしておこう!