『Who’s in the House?』[DISC REVIEW]

DYGL

『Who’s in the House?』[DISC REVIEW]

原点回帰、そして革新のアティテュード
フィジカルな音像に宿すDYGLの本領

昨秋行われた全国ツアーの福岡公演を観たあとすぐさまスケジュールを調整して翌月末の岡山公演に飛んだのは、とにかく現在のDYGLのあまりにフィジカルで有機的な音をもっと浴びたいという一心からだった。そして、3年ぶり、5枚目のフルアルバムである本作『Who’s in the House?』には、それらのライヴに見いだした景色──プレイ中にも楽曲(特に未発表の新曲たち)がアグレッシヴに細胞分裂をし続け、一触即発のアンサンブルが疾走しながら広がり続けて、凄まじい熱量とグルーヴの磁場が生まれていく瞬間の昂揚──が、そのまま息づき渦巻いている。

《全曲メトロノーム無し、全楽器同時の一発録り》というレコーディング体制による、余計なギミックも作為もない全9曲。全編英語詞、研ぎ澄まされてなお荒々しい音触、考えるより早く身体が反応してしまうつんのめるようなビート感。それらは原点回帰とも言えるが、初期衝動だけでは決して生まれ得ぬ芳醇さや寛容さをも孕んでいて、この上ない解放感をもたらしてやまない。最も驚くべきは本作における彼らの透徹したアティテュード。パンクやガレージの肉体性と瞬発力を軸に、UK~USのギターロックやオルタナティヴを踏襲しつつ、サイケデリックやポストパンク、フリージャズにも発展するほどのしなやかさを随所に見せながらも、より自由に、よりヴィヴィッドに、楽曲としての完成度よりも、フィジカルかつエネルギッシュな音像とバンドのバンドたる所以である即興性・有機性を追求していくのだ。

特にアルバム後半、『One O One』から『Man on the Run』へ、さらに『This Minute』へとインターバルなしでつなぎ、あたかもライヴ終盤のような沸点超えへと突進していく様は、小手先の巧さではなくまさに百戦錬磨のライヴバンドであるからこその技量である。さらにラストチューンは比類なき最高沸点、昨年のツアーでフロアを最高潮に熱狂させた『Who’s In My House?』。本作のタイトルチューンとも言えるこの曲は、後半、サックス(プレイヤーはベースの加地)の登場、推進によってバンド・オーディエンスを諸共に未踏の狂騒、歓喜へと導く。その坩堝で私は、DYGLが本作に体現した革新を強く実感する。

間違いなく本作『Who’s in the House?』はDYGLの臨界点にある。だが、この9月よりスタートするリリースツアーにおいてそれは日毎夜毎に超えられていくだろう。(山崎聡美)

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LIVE INFORMATION

“Who’s in the House?” TOUR

2025年10月19日(日)
福岡 The Voodoo Lounge

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