楽しいことも辛いことも
喜怒哀楽、全部入ってんのがロックバンドじゃん

SCOOBIE DO

取材/文:山崎聡美

楽しいことも辛いことも<br>喜怒哀楽、全部入ってんのがロックバンドじゃん

メジャーデビューから20年、結成から数えて27年となる2022年、スクービードゥーが通算15枚目のオリジナルアルバム『Tough Layer』をリリースした。前作『Have A Nice Day!』から3年と1か月ぶり、パンデミック以降初の、待望のアルバムリリースだ。パンデミック渦中の制限下においてもバンドの熱量を保ち、配信ライヴや新たな形式の有観客ライヴ、折々の新曲やライヴ円盤のリリース等で私たちを鼓舞し続けてくれたスクービードゥー。彼らの音楽が、歌が、ブルースが、私たちにはいつだって必要だった。そして、この『Tough Layer』を受け取った今、これが今を生きるすべての人、そのひとつひとつの人生の伴走となり得るものであることを、あらためて確信している。本作について、ヴォーカル・コヤマシュウ、リーダーことギター・マツキタイジロウに聞いた。


──アルバムに先行して、収録曲の『スピード』と『荒野にて』が今年はじめのライヴで披露され、会場限定CDとしてリリースもされていましたね。あの時、ライヴで聴いて感じた新しい息吹が、この『Tough Layer』の中で他の曲とも繋がって、逞しい生命力となってみなぎっているように感じています。実際、あの時点ではアルバムの全体像としてはどの程度まで見えていたんでしょうか。


ツキ:あの時点では、6割方かな、6曲がありましたね。当初僕らとしては、昨年、一昨年とで出していた音源も全部入れるつもりでいたんです。


──パンデミック以降に発表された曲(『同じ風に吹かれて / Alive Song』『夏にはいいことあるだろう / 新しい世界で』『スピード / 荒野にて』)をすべて?


マツキ:そうそう、それで全部で10曲にまとめようと思ってたんですけど、いざリリース(のレーベルや流通等)をどうするかって話になったときに、またビクターとやりたいねってことになって、ビクター側にも快諾してもらって。そこで、既発曲が半分以上ってのは多いんじゃないか?と。まぁ確かにそうだなということでアルバム用の新曲をさらに作ることにして。


──当初考えていたアルバムの輪郭とは、そこでかなり変わってるんですね。


マツキ:ですね。で、それと同時に、今年2022年が(メジャー)デビュー20周年、ビクターからの1st(コンパクト)アルバム『GET UP』リリースから20周年なので、20年後の『GET UP』みたいな曲を作るのはどうですか?とアイデアを頂いたんです。それはすごく面白そうだなと思ったんですけど、僕自身はそんなことを全く考えずに曲を作っていたので、けっこう壮大な謎かけみたいなものを頂いてしまったなと(苦笑)。


──そうですよね。『GET UP』をどう捉え、どう抽出して今に還元するのか、けっこう難しいところだと思います。


マツキ:それでちょっと冷静に、20年のスクービーの歩みとか、楽曲の癖とかをあらためて考えてみたり、『GET UP』を見つめ直したりして、自分なりに考えた結果というか、そういうのを総合してできたのが、『明日は手の中に』(アルバム1曲目&先行配信曲)なんです。『GET UP』を聴き直して僕が強く思ったのが……何も知らない状態で『GET UP』を聴いたとしたら、“無防備なポジティヴさ”をすごく感じるだろうなってことで。それが、多分、当時とっても貫通力を持っていたんじゃないかと思ったんですよね。無防備だからツッコミどころもたくさんあるんだけど、ツッコミどころ以上に共感するポイントが多かったっていうか。で、それも、言葉とかメロディーの強さだけじゃなくって、やってる人たち(=バンド)が醸し出す説得力みたいなものが、ミュージックビデオとか観ててもすごく強かったのかなと思ったんですよね。

SCOOBIE DO「Get Up」Music Video

──ええ、ええ。それは確かに、強かったです。


マツキ:だから、『GET UP』の20年後を作るってことは、曲をそのまま焼き直すとか、何か当時の言葉をメッセージとしてのせるとか、そういうことではないなと思ってて。トータルで考えていたコンセプトみたいなものを、今20年後の自分たちがやって、不自然じゃないもの、それで、根底で通じてるものを作れたらいいのかなと思ったんですよね。それをもっていろいろトライして、何曲かできた中でこれだろうと思ったのが、『明日は手の中に』で。結局、無防備なポジティヴさに通じるところが、バンドのキャラにも合ってるんだと思ったし、テンポ感とか楽曲のディテールを考えても、バンドのフォーマットとしても、このアッパーな感じが一番合ってると思って。なので、自分としては、もらったテーマにおいて、過去の自分たちの曲をオマージュするようなイメージも持ちながら、今の、現役のバンドとして、(現状を)突破していくための、曲として強い楽曲、所謂シングルを作るようなつもりで作ってましたね。


──“無防備なポジティヴさ”って、そのまま狙って出せるものじゃないですよね。


マツキ:そうなんですよね。キャリアを重ねていくと、つっこまれないようにいろんな予防線を張っていきがちになる。それはなんか違うんだなと思って。だからもう、思ったことをズバッと言ってくような感じで、作ってましたね。何寝言言ってんだみたいなふうに聴こえる人もいるかもしんないけど、そこを気にしててもしょうがないと思いながら(笑)。

SCOOBIE DO「明日は手の中に 」Music Video                                                        俊英・加藤マニが撮影とディレクションを手がけている。スクービードゥーの軌跡とともに今の奇跡を噛み締め、息づく未来(希望)を感じられる名作。

──個人的にはこの曲を聴いて、20年前にスクービーのデビュー時に感じた新しいロックンロールの希望を思い出さずにはいられませんでした。と同時に、“明日”とか“未来”とかいう今やすっかり不安定なものとなってしまっている言葉は、本来は“希望”の同義語であるはずで、その本来の意味も受け取ったような思いでいます。で、もっと言うと、今作はアルバム全体がスクービーというバンドのルーツや軌跡が積み重なった地層のようだな、と。地層からしみでる水というのは綺麗な真水なんですけど、そういう濁りのない、大地の力強さを多分に含んだ真水の清々しさを受け渡す作品だなぁという感慨もあります……(苦笑)大袈裟でしょうか。

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マツキ:いやいや、ありがとうございます。素敵な表現をしていただいて。今回、どういうものを作ったのか、まだ客観的に聴けていないところもあるんです。ただ、どういうものを作ろうかなと考えてたときの気持ちはすごくはっきりしてて。今回は本当にいいメロディー、ポップなメロディー、こういう状況なんだけど、一緒にシンガロングしたくなるようなメロディーを持った曲をいっぱい入れたいなと、そういうアルバムを作ろうという気持ちでいたんです。それは、この2020年以降、ライヴができなくなってから、なんとなく思ってたことだったんだけど……バンドのわかりやすい部分をわかりやすく伝えていくことが、今は突破力があるのかなと。ライヴができなくなって、楽曲だけで伝えていかなきゃいけない場面がどんどん増えてくる。そのときに、僕らはこういうバンドだからこういうフォーマットで楽しんでくださいって、要するに“わかる人だけわかってくれりゃあいいや”っていう態度で自分たちの格好よさを維持するやり方ももちろんあると思うんですけども、自分たちはそこだけでやってきたバンドではないし、今やることとしては、スクービーのことを詳しく知らない人が聴いてもどんなバンドかがなんとなくでもわかる、そこで“いいな”って思ってもらえる曲を作りたいと思ったんですよね。そのために何が必要かっていうとまずメロディーがよくなきゃ駄目で。とにかくまず、いいメロディーを作ろう、いいメロディーさえ作っておけば、バンドアンサンブルはいくらでも冒険ができると思ったし、僕たちにとっては冒険しないことも冒険だなと。そういうことを思いながら曲を作ったのは、今までの感覚とちょっと違うとこで。それ自体チャレンジだったのかなと、今振り返ってみれば感じるところではありますね。


──そこは当初からメンバーと共有されていたりとか、何か要望を伝えるようなことはあったりしたんですか?


マツキ:メンバーには、デモを作って渡して、聴いてもらって、その段階で(自分の意図が)伝わるか、伝わらないかってことだと思うんですよね。僕としてのやりたいことはこうなんだけど、そこにメンバーのアイデアとか意思とかが入ってこないのは面白くないので、あんまりそこで説明はしない。そのデモも、わりと設計図みたいな感じ、できるだけシンプルにして渡しているので、そこからみんなでアイデアを出し合いながら、どうするこうするってやるのが面白いところで。なので、サウンド感、アレンジ感に言及すると、そういうやりとりも含めて、スクービーらしいもの、バンドらしいものになったらいいなということは思ってましたね。


──その、なんというか、メロディーを生かすも殺すもアレンジ次第みたいなとこ、あると思うんですけど、いいメロディーを生かすためのコントロールを、マツキさんがどの程度意識的にやっているのか、全くそういうことはないものなのか、今お話聞いてて思ったんですけど、そのへんは何か自覚的なものってありますか?


マツキ:ん~……前提として、メロディーそのものをいじることはそんなにないんですよね。結局その、歌がベースにある、歌が幹になってるので。それ以外の演奏をどうするのかっていうところでのアレンジの広がりはあっても、結果として設計図から大幅に変わるっていうことはないんですよね。


──なるほど、バンドとして自ずとそういう形になるんですね。今回コヤマさんは、その設計図であるデモを聴かれて、どう受け止められたんでしょうか。


コヤマ:僕はねぇ、デモをもらったら、まず曲を覚えねば、ということだけですね。全力で、曲を覚えますね、スラスラ歌えるように。


──あ、そういう感じなんですね。


コヤマ:うん。それはいつもそうです。で、曲を覚えて、みんなでリハして、こんな感じかな、こういう感じかなって何度かやっていって…そしたらもう、できあがってる感じですね、僕の中では。で、あとは、レコーディングのときにスタジオで歌ってみて、そこで調整しながら自分のいい感じで歌えるようにして、完成!と。


──コヤマさんの過程には雑念とか入る余地がない(笑)。


コヤマ:うん(笑)。僕は思うけど、歌は“歌うのがいい”んですよ、いちばん。歌う、歌えるようになる、っていうか。それがすべて。僕の中では、の話ですけど……こういう曲で、こういう思いで、こういう解釈でっていうことを考えて核心に近づいていくというよりは、歌って、“あ、いい感じじゃん”ってなったらそれでいい。それが最高、というか。歌は、歌ったら、歌えたらそれでいい。うん、そういう感じだなぁ。


──何を狙うわけでなく、そのまま歌うことで完結する、という。今作を聴いてると、コヤマさんの歌がすごく美しいなと思うんですよ。その美しさも幅広くて、少年の歌声のように聴こえる曲もあれば、人生3回くらい生きている人の歌声に聴こえる曲もあって。


コヤマ:すごい、嬉しい(笑)。


──本当にすごいんですよ。あらゆる力量が発揮されていて、さらにソウルフルで。何か楽曲に触発されるようなところや、歌として目指すところが、新たに見えていたのかなと思ったりしたんですけど、でも、すごいフラットで驚きました。


コヤマ:なるほど、うん。その話聞いて思うのは、やっぱり、曲によるんですよ、それは。僕の中では…曲と、具合による、と思ってるんですけど。


──具合?


コヤマ:具合っていうのは、その時々の感じってことなんですけど(笑)。曲と具合による、っていうのが、僕の中でひとつの指針としてあるんですよね。“時と場合による”みたいな感じですね、“曲と具合による”。


──ふはははは、なるほど(笑)。


コヤマ:(笑)でもホント、それは曲によるんですよ、絶対。やっぱりね、泰ちゃん(マツキ)の作る曲がすごいいろいろあるんです。毎回。で、全部新曲なわけですよね。たとえば『夕焼けのメロディー』と『真夜中のダンスホール』と『Back On』、そんな3曲を録るんだったら、ライヴでやってるまま歌えばいいんだけど、新曲なので、その段階では無限なんです。どうとでも歌えるという無限の選択肢があって、でも、歌い始めて数秒経つとやっぱり俺は俺でしかない!というところに立ち返って。すると、この曲が格好よくなる感じにしようというとこに向かう、そういう思考回路なんでしょうね、僕の中では。歌ってみて、そのうちに、ここをこういくとイイ感じだなとかぐっとくるなとか、まぁそれは僕の中の判断だけど、いろんな曲があって、どれも新曲だから、これはこんな感じでいってみるか、っていうのが、毎回出てくるんだと思います。そういう意味では、自分のことをよくわかってないのかもしれないですね、まだね(笑)。


──それは、可能性ってことですか?


コヤマ:ん~、なんかこう、いまだに俺はこれだ!みたいなもの?森進一さんが歌ったら全部森進一、みたいなモンがあるじゃないですか。(山下)達郎さんが歌えば全部達郎さんの歌になる、とか。


マツキ:はっはっはっは(笑)。


コヤマ:や、わかんない、森進一さんも実は曲ごとに歌い方変えてんのかもしれないけど(笑)。でもあれはやっぱりなんか、達人の領域だなって僕は思うんですよね。ああいう感じに憧れるところはあるし、格好いいなと思うんですけど、僕はやっぱ、曲で変わる。この曲はこうかな?っていう感じになるんですね。あと、『Have A Nice Day!』とか『CRACKLACK』とか、わりと最近のレコーディングから、ちょっと思っていることがあるんですけど……レコーディングするとなるとやっぱり究極の形を突き詰めたくなるじゃないですか。これがベストであるというものを、残したいというか録音したい、毎回その気持ちはあるんだけど、でも果たして本当にそうだろうか、と。レコーディングしてその曲が形になったあとに、変わっていっても別にいいなっていうのを思ったりして。たとえば、この『Tough Layer』はこの時の記録であって、まぁ言ったら、2022年バージョンですよね。リリースしたあと僕はライヴで絶対に何度も歌うから、そしたらその時々の具合で歌は変わっていくんですよ。歌は変わるもので、それでいいというか……それがいいなあ、って。そこはなんか、自覚してきたのかな、自分の中でね。レコーディングしたものが、到達点でなくとも別にいいじゃん、と。もちろんこれ(録音した作品)はこれでいいものができたし、格好いいなぁと思ってますけど、このあといっぱい歌っていって、その歌がどんどん変わっていっても、それもまた良しというか、うん。

SCOOBIE DO「Have A Nice Day!」Music Video(2019年)

──ライヴでの歌が変わり続けるように、録音されたものも、相対的なベストではなくて、その瞬間の沸点とか空気感みたいなとこがとらえられていればいい、という。


コヤマ:そうそう、うん。だから、その時の自分で歌うっていうことが、けっこう大事かな。わけのわかんない理想ではなく、俺が、自分で歌うっていうこと、そこがあればいいかなっていう感じがありますね。今(の俺)はコレだぜ!つって、歌ってんだと思います。


──その、今の歌であるという意識が、今作の地層をさらにみずみずしくしているのかも。この流れでもうひとつ、マツキさんに伺いたいのは、現在のギタリストとしての在り方というか。ここ数年来のジャズへのアプローチ、ジャズの演奏理論の開拓だったり新たな奏法の獲得だったりは、スクービーに何らかの影響、還元をしたいと考えていらっしゃるのか、あるいはそういうものがもう実際にあるのでしょうか?


マツキ:僕、スクービーでは…自分のやるギターの役割っていうのは、いちばん後回しにして考えてるんですよね、いつもね。で……根本的に自分が音楽聴くときには、曲がよくなきゃ駄目だなっていつも思ってて。他人の曲もそう思って聴いてるんです。要するに、演奏がどれだけ上手で、テクニックのある人が演奏してても、曲がよくなかったら、自分としては全然何も面白くない。逆に、曲がよかったら、どれだけ下手な演奏でも心に響いてくるものがあったりとか。もちろんその、やってる人たちの人柄とか時代とかもあるのかもしれないけど、乱暴に言い切ってしまうと、曲がよくないと駄目だっていうのがまずあるんです。その考え方は、別に僕がジャズギターを志したからといって変わるものでもなくて。技術を上げようと思ってやってるわけではないですし。ただ、自分にとってすごく役立ってることはあって。曲を作るときに、これまで考えられなかったメロディーの運びやコードの運びを、自分の力で発見できるようになってきた、そこはジャズギターをやって、理論を学んだことで、フィードバックされてるなとすごく思うところです。それと、バンドのアンサンブルなんかで、迷う音っていうのがあったりするんですよね。今の音が合ってるのかどうかみたいなことに対して、ジャッジができるようになってきた、とか。だから、すごく役に立ってるんですけども、積極的にバンドに反映させようみたいなことは全然思ってなくて。それはあくまでも、自分のライフワークっていうかね。ライフワークの一環としてジャズみたいなものをやっていきたいなっていうのは、個人として思ってるところですね。で、それが、いい意味でバンドに反映できればいいな、ぐらいの気持ちです。


──なるほど…今作は、サウンド感は確かにスクービーのものなんですが、これまで以上に豊かなもの、豊潤さを感じるんです。それは単に曲のバリエーションが豊かとか音色が多彩とかそういう意識的なところからじゃなくて、もっと曲の深みから溢れて滴るようなもので、それがアレンジだったり各々の歌や演奏だったりに無意識下で働きかけて何かを引き出しているのかもしれない、と、ここまでおふたりのお話を聞いていて思いました。


マツキ:あ~、そうだと思います。今回は、曲によってギターを持ち替えるとか、ヴォーカルのエフェクトを変えるとか、そういうことじゃなくて、自分たちがいつも使ってる楽器を使って、いろんなタイプの楽曲をやってるんですね。なので、曲はいろいろ変わっていくんだけども出そうとしてるサウンド感は変わらないということなんです。その中で、ひとつの曲に対して最適な音色だったりリフだったり、僕で言えばギターソロだったりを、考えながらやってる。MOBYなんかは、今回レコーディングセッションで毎回ドラムセットを替えてて。自分からアイデアを出して、(録音スタジオの)ピースミュージックにあるものから曲ごとに使うドラムセットを選んだりとか、スネアを替えたりとか、ちょっとこれまでにないぐらい音色の変化にトライしてたんですよね。何があったんだろうな(笑)……ドラマーとしてそういうことをやってみようと思ったのかなっていうくらいしか、僕には想像がつかないんですけども、それは面白かったですね。毎回、ドラムの音が違うから。曲によって音を変えるっていうのは、ドラマーとしてすごいチャレンジだと思います。そうやって、それぞれのアイデア次第で豊かさは出せるし、バンドの強さってやっぱりそこじゃないかな。ポップミュージックとかロックバンドって、そこに含まれる音楽要素はいっぱいあるじゃないですか。ファンクも、ロックンロールも、ジャズも、ラテンも、ヒップホップも、いろんなジャンルを含んでるんだけど、表現としての出し方が統一されてるからこその強みってあると思うんですよね。特に、ロックバンドって言われるものって、バンドでやるからこそジャズっぽい曲だってあるし、ファンクっぽい曲もソウルっぽい曲もある。でも、バンドがやってるからいいじゃん、格好いいじゃんみたいな感覚が、僕なんかはけっこうあるんですよね。リアルタイムでバンドブームの音を味わいながら、そこからいろいろな音楽を遡って聴いていった人間からすると、バンドの人が何か特定のジャンルをやって表現しようとするもの、そういうバンドの表現そのものに、なんかこうぐっときちゃうとこがあって。……それがあれば、いいんじゃないかなって気がするんですよね。まぁ僕らも、ファンクとか《Funk-a-lismo》とかを掲げてはいますけど(笑)、別にそんなにファンクバンドっていう認識はないし、ロックバンドだよっていう気持ちでいたいんですよね。それは、常に間口は広く、なんでもやるよ、だけど表現の仕方として“スクービードゥーという出口”を持ってるバンドでありたいということなんです。今回は、そのスクービードゥーっていう出口から綺麗に、上手に出てきたなというような(笑)、そんな楽曲たちである感じがしますね。


──スクービードゥーという出口から綺麗に出てきた…もう、唸るほど上手い表現(笑)。それがつまり、最初に言われていた今作での「バンドのわかりやすい部分をわかりやすく伝えていく」ということに繋がるんですね。その楽曲をもって、アルバムの構成としては、どういう流れを望んでいたんでしょうか。というのも今作、1曲1曲の存在感はもちろんのこと、次曲に繋ぐ懸け橋としての役割も各曲が多分に担っていて、10曲でひとつのストーリーが立ち上がってくる印象もとても強いんですが。


マツキ:アルバムとして考えたときには、前半をとにかく聴きやすく、スッと入っていける曲の流れにしたいなと思って並べたんですよね。で、後半の6曲目以降は、ある意味ちょっと混沌とするというか、前半の聴きやすさに比べると、おや?となってくる。それも、僕の中ではすごくスクービーらしい、バンドらしさかなと思ってるんですよね。すごくポップな曲、キャッチーな曲がパパパーッときて、最後までそれで終わってしまうのはちょっと違う。もっともっと……蟻地獄というか。だから前半は、バンドのディープな部分に辿り着かせるための……砂糖の部分って言うとちょっと僕たちには言い過ぎなんですけど(苦笑)、呼び水のようなもので聴かせながら、だんだんロックバンド然として、ギターソロの長い曲が出てきたりとか(笑)、ちょっとファンキーでエキセントリックな曲が出てきたりとか。そういうものがないと、スクービーのアルバムじゃないなと思っていたので、後半は敢えてそういう流れになってますね。そういう一連の流れの中でバンドの本質っていうかね、一筋縄ではいかないような毒気のある部分も、曲の良さと一緒に伝わったらいいかなというのは思って、曲を並べてみました。


──個人的にはそのバンドの深間へ踏み込む6曲目『成し遂げざる者のブルース』は、最高のカウンターでした。生きづらくても、生きたくなくても、生きていくっていう皮膚感覚がそのままあって、この時代にこそ必要なブルースだし、こういう曲をリアルな音で、歌でやれるからこそスクービーだと思っているので。


マツキ:あぁ、なるほど。


コヤマ:ブルースって、そうですよね。前に話したときも、それでも生きていく、っていうのが僕らにとってのブルースだって話でしたよね。


──はい、そうでした。


コヤマ:ブルースってやっぱり、憂鬱だなぁってことを皆で共有することじゃなくて、それでも生きていくってことで。うん、この歌も、そういう歌だと思います。このアルバムの中では、トーンがシリアスでダークな感じに聴こえると思うんですよ。実際僕も、デモをもらったときもそういう匂いをすごく感じたんですけど……でも結論は、シリアスでダークっていうだけじゃないところ、僕が歌うんだったらそういう結論じゃないなっていう気持ちはあったかなと思います。……世の中の道理を知ったような、訳知り顔な感じで終わってる曲じゃないよ、っていうか。なんか、オッさんの説教みたいな感じになったらヤだな、って(笑)。だって、僕も、当事者だから。だから、うん、そういうブルースだと思います。

SCOOBIE DO「成し遂げざる者のブルース」

──それが次の『スピード』のエネルギーに転化されて、さらに『光の射す道へ』と昇華される。ここも素晴らしいんですよね。で、その光を受けて輝くのが『正解Funk』という、まさにFUNKY4を堪能できる、いちばん美しい流れになってて。


マツキ:(笑)『正解Funk』、けっこうシュウくんが気に入ってたよねぇ。


コヤマ:そうそう。これはすごいわかりやすいというか、僕の中では大人のポンキッキみたいな感じなんですよ。《大人の、みんなの歌》っていうか。70年代に子門真人さんが歌ってそうな、子どもがわかる言葉ですごい真理を歌ってる、みたいな(笑)。けっこう核心を突いたことを言ってるんだけど、子どもが聴いたら“わー、たのしーなー、おどっちゃうなー”みたいな、この感じが僕は好きで。だから『スピード』を(ライヴ会場限定CDとして)出すときに、この曲もすでにできてたから、カップリング曲はこの曲がいいんじゃないかなって推したぐらい。秒速で却下されましたけどね、“味が同じじゃないか!”つって(笑)。


──味が同じ!!(爆笑)


マツキ:歌モノかリズムモノかで分けると、同じテイストだろう!と(笑)。


コヤマ:だよねー、ごめーん!ってね(笑)。でもそれくらい僕は推してたんです(笑)。

SCOOBIE DO「正解Funk」

──(笑)『正解Funk』、曲も位置も最高です。では最後に、『Tough Layer』というタイトルに関してなんですが、“Tough”ってふたつの、相反する意味合いがありますよね。頑丈で、力強い、簡単に壊れないようなものという意味と、辛い、苦しい状況を指す意味と。


マツキ:あー、そうですね。タフな状況だね、みたいな言い方しますよね。


──そうですね。そういうふたつの意味を持つ言葉が“Layer”、層になってるというのはまさに現状の世界を捉える表現でもある気がして。それは意識してつけられたタイトルなんでしょうか。


マツキ:や、全然。そっちの、辛いほうのタフはなんにも考えてなかったですね(笑)。自分としては、強いっていう意味のタフのつもりでつけてますね。


──マツキさんとしては、メンバー4人の力強さだったり、ここまで培ってきたバンドの強固さだったりが、合わさって重なっているイメージ、という。


マツキ:うん、そうですね。


コヤマ:僕、リーダーからこのタイトルについての話を聞いたとき、それはつまり“4人組のロックバンドってことだな”って思ったんですよね。“Tough Layer”っていうのは、スクービードゥーってことだ、と。だから、ああ、すげーいいなって思ったし。それで、今聞いたお話を合わせて考えてみると、なんか、そういうものもひっくるめてロックバンドじゃん?って。楽しいことも辛いことも含めて、喜怒哀楽、全部入ってんのがロックバンドじゃんって思うから、うん、なんか……ドンと来い!ですね。タフな状況も、ドンと来い!です。そういうのもひっくるめて、現役ロックバンドですから。今、そういうふうに『Tough Layer』を解釈しました。




今回のインタビューの収穫は、スクービードゥーの沼の深淵を指して発したマツキの「蟻地獄」、“Tough Layer”というタイトルへの私の揚げ足取り的愚問に応えたコヤマの「ドンと来い」、そして「味が同じだろ!」。スクービードゥーというバンドが常に孕む本能的な凄烈さと寛容とユーモア。最高だ。それは、今を生き抜くための最上のアティテュードでもある。


10月1日には、本作を携えた全国ツアー(全17か所19公演)がはじまる。


現状、バンドの現場であるライヴハウスでは、キャパ数の制限もあり軒並み観客数は減っている。だが、にもかかわらず、そこに生まれる空気感は濃密で、バンドやライヴに傾けられる熱量は比して高く、結果ライヴの昂揚感も充足感も以前と全く変わらない。それどころか、純度で言えば、現在のほうが圧倒的に高いのだ。今年2月のスクービーの2days公演もそうだったし、バンドもまた「この間、北海道の旭川と帯広でやったんですけど、その時、なんかちょっと、普通じゃない客席の高まりというか、こう、決壊する感じ、急にブチッ!と切れる感じがあったんですよ。元々、ツアーバンドもそんなに来れない場所で、来ても行けないというこの2、3年の状況のなかで、行けてなかった人たちが、スクービー来んのか!ってライヴに久々に来て、“あ~、ライヴハウスこんなだったなぁ”ってだんだん思い出してきて、ある瞬間にドカッと、ドーンッと決壊するっていう。その感じがなんか、“あぁ~、いいなあ”って」(コヤマと、その実感をもってステージに立っている。即ち、今スクービードゥーのライヴを見逃す手はないということだ。福岡公演は11月3日(木・祝)、会場はもちろん、彼らが愛して止まぬ、引き戸のライヴハウスCBにて。


コヤマ:皆さんは、身一つで来てくれるだけでいいですから。あとはもう大丈夫、僕らが全力でやります。


最後は、なぜバンドマンはCBを愛するのか?について、マツキの言葉を以って締めとしよう。


マツキ:ステージから見る景色が、堅苦しくないんですよね。飲みに来たついでに、ライヴやってんだったら観てやるか、みたいな。それこそ、アメリカのライヴバーみたいなノリでね。ライヴ本来の目的を果たしているのを、目の当たりにさせてもらえるライヴハウスって感じがするからなのかな。ライヴハウスって、ライヴを観るのがまぁ第一の目的ではあるんだけど、もちろんCBに来るお客さんもライヴを観ることが目的なんだけど(笑)、でもあそこのステージから(客席側を)見てると、…飲みに来たのかな?っていう感じがするんです(笑)。なんかそれが、僕らが憧れてきたようなアメリカ南部のブルースバーなんかの光景、1日の仕事の疲れを癒やしに来て、酒を浴びて、ただただそこで鳴ってる気持ちいい音楽に合わせて体を揺らしているような……人として、すごく自然な楽しみ方をしてくれてるような光景に見えるっていうところが、全国的に少ないから。ハコの形状とかね、細かいこと言ったらいろいろあるんですよ、他にもいっぱい好きなとこ。ステージの間口が広くて客席も横に広くて、奥行きが短くて天井が高いから、やってるとけっこう気持ちがいい、とか。だけどまぁいちばんは、そういうとこかな。雑多な感じ、ライヴハウスってこうだよね、っていう。


燃えるような季節がまた、巡ってくる。
今こそ《歪な自由を抱きしめ またCBで踊りだせ》。

SCOOBIE DO「その声を」
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LIVE INFORMATION

SCOOBIE DO TOUR
「Funk-a-lismo! vol.13」

2022年11月3日(木・祝)
福岡LIVE HOUSE CB

PROFILE

SCOOBIE DO

コヤマシュウ(Vo)、マツキタイジロウ(Gt)、ナガイケジョー(Ba)、オカモト"MOBY"タクヤ(Dr)。1995年結成。1999年、K.O.G.A RECORDSよりシングル『夕焼けのメロディー』でCDデビュー。2002年、1stコンパクトアルバム『GET UP』にてメジャーデビュー。独立レーベル・CHAMP RECORDSのもと、現在まで勢力的なリリースとライヴを続ける。身体にぐっとくるビート、強烈な昂りへ導くしなやかなグルーヴ、心にぐっと沁み入るメロディーと歌で《ファンクだけど歌モノ、歌モノだけどファンク》を確立。《踊れて泣ける》ライヴも《バンドでも笑える》トークも、超一級&唯一無二。圧倒的なライヴパフォーマンスから“LIVE CHAMP”の異名も持つ。