福岡バンドの原風景と、青き心象風景
風吹き荒ぶ街で鳴らすリアルロック

奏人心

取材/文:山崎聡美

福岡バンドの原風景と、青き心象風景<br>風吹き荒ぶ街で鳴らすリアルロック

Live my life intensely and die young──福岡のライヴハウスシーンで脈々と受け継がれる、生き急ぐビートとアジテイトな轟音。メインストリームの狂騒や抑圧、ファッション的好奇を尻目に、パンクやガレージのインディペンデント精神に則って鋭く研ぎ澄まされた音と言葉は時代を経ても鳴りやむことなく、否応なく聴く者の心身を射抜いていく。昨秋1st EP『SEARCH感受YOUTH』のリリースをもって、豊穣にして風吹き荒ぶ福岡の系譜に新たに名を連ねたバンド──奏人心の音は瞬く間に国内外を疾駆。そして、8月6日リリースの2nd EP『風がゆく若色の街』には、リードトラック『それがすべて』ほか全4曲を収録。1stからの変化と発展に驚嘆するとともに、本作によってこちらの想像以上の飛翔が果たされることを確信している。永松有斗夢(Ba,Vo)、山路あげは(Gt,Vo)、今橋一翔(Dr)、メンバー3人そろってのインタビュー第1回。

──最初バンド名を聞いたとき、“ソートシン”だと思ったんです。で、テッポーシン(tepPohseen/1990年代終盤から活動する福岡産バンド。首謀者である浅田良氏は、那珂川市にて音楽を主体とした多目的スタジオ・mnt/studio[マウントスタジオ]を運営している)に近しいバンドだろうか、と…年代が違うことも忘れて(笑)。

山路:テッポーシン、知ってます!

──知ってるの?!すごいというか、流石というか(笑)。

山路:バンド名は関係ないですけど(笑)、浅田さんにはお世話になっていて。この間、スタジオで使う機材のデモンストレーションをさせてもらいました。

──つながってるんですね。ここまでの奏人心の作品がPANICSMILEにも参加されているnon-commitalこと中西伸暢(IRIKO)さんのプロデュースなので、UTERO(ライヴハウス)界隈をはじめ福岡の音楽シーンとの縁があることは予想していましたが。奏人心の音を聴いて、楽しそうだからみたいなノリじゃなく、バンドをやることへの決意とか音楽を選ぶ理由があって生まれているものなんだろうというのは感じていて。今日はその辺りの話から聞かせてもらえたらと思います。

永松:はい。バンドは、高校1年の時に軽音部で僕と(山路)あげはが出会って組んだのが始まりです。僕は中学までずっと野球をやってて、だけど受験に失敗して希望の高校に行けなくて。やりたいこともなくて何をやればいいかもよくわかってなかったけど、唯一、歌うことはすごく好きで。めっちゃ下手くそだったんですけど、みんなに馬鹿にされるぐらい(苦笑)。でも、野球をやっていた頃から声を出すことが好きだった。それで、入学した高校で軽音部に入りました。

山路:私は中学生の頃にギターを弾き始めたんです。中学2年の時に学校に行かなくなって、ずっと家に居て。ずっと独学で弾いてましたね。正直、高校に行くかどうかも迷ってたんですけど…音楽、やりたいなという気持ちに沿うかたちで、軽音部のある学校を探して入って、そこで(永松)有斗夢とバンドを組むことになって。

永松:最初はコピーをやってたんだけど、なんか違うよなぁ、って。もっと自分たちで、オリジナリティーで表現したいと思ったというか…なんでできないんだ?っていう思いが強かったなって、今考えると。みんながわかる曲じゃないと文化祭で演奏させてもらえなかったり、練習したい日にできなかったり、オリジナル曲やりたいことを言っても“そこまでは…”みたいな感じの人が多かったり。“できない”ことに対してのフラストレーションもあったし、それ以上に、できたら何かが変わるような期待がものすごく大きかったんだと思います。だから波長も熱量も他の人と合わなくて、結局(組んでいたバンドは)僕とあげはの二人だけになったんです。

──同じ熱量でやっていたのが二人だけだった。

永松:はい。それで、その頃に吹奏楽部を抜けたばかりだった(今橋)一翔にドラム叩かない?って声をかけて。

今橋:抜けて、半年ぐらいかな。パーカッションとか、打楽器系は全部やってたんですけど、ドラム類は(吹奏楽部をやめる前の)最後に少しやったぐらいでしたね。だからほぼ初めてでした。

永松:LINEで“ドラムをやってみないか?”って訊いてみたら、3分後ぐらいに“やります”って返ってきて。

──ずいぶん速い(笑)。

今橋:ふふふふふ。

永松:で、そうなると、スリーピースになるわけじゃないですか。でも僕は楽器を触ったことがない人間で。

山路:ピンボーカルだったんです、彼。

永松:あげははギターが弾けるから、僕はベースを弾くしかない。僕がベース&ボーカルをやって、一翔がドラム叩いて、スリーピースの編成でいこう!って。

──成り行き上とはいえ、すごい、情熱が現実を変えていってますね(笑)。

永松:そうですね(笑)。でも最初はオリジナルやるどころじゃなくて、コピー曲を数曲、3か月ぐらいやって。それからオリジナル曲をやり始めました。それが、奏人心の始まりですかね。

──ちなみに、コピーはどんな曲を?

永松:よくやってたのは、何だっけ?

山路:andymoriをやって…My Hair is Badもやったよね?

今橋:マイヘア、やったね。

永松:あと、Green Dayとかもやったよね。

──なるほど、スリーピースを詰めていって、そしてオリジナルへ、と。1st EPの曲たちはその頃、奏人心の最初期に生まれたものなんですよね?

山路:そうですね。

永松:高校2年生の終わり頃から高校卒業するまでに創った最初の4曲を収録してます。

──あの、風の吹き荒ぶような音像は、本当に初期衝動ということですね。

山路:はい(笑)。それを出したかったから、そのまま出してもらいました。

──衝動のままって、言うのは簡単だけど、それを音にする、曲にする、作品として残すというのはとても難しくて、バンドの在り方にも繋がることだと思うんです。そことどう取っ組み合っていったんでしょう。

山路:まず曲を創ろうってなった時に、どうやって創っていいかもわからず、とりあえず私がコードを弾いてみて、コード弾きだけで1曲創ったものを有斗夢に、これにメロディー乗せてみてもらえませんか?って送ったら、すっごい早口のメロディーが、めちゃくちゃ言葉数を詰めたやつが送られてきて(笑)。で、一翔にドラム叩いてもらったらものすごく速いビートを叩き出して。それで出来上がったのが、1stに入ってる『生き急げ!遅刻常習犯』なんです。

──超パンク!(笑)。

山路:そうなんです。でもその頃、高校生の頃は試行錯誤しながら曲を創れることが、とにかく楽しくて。自分たちにしか鳴らせない瞬間の音があって、自分たちしか言ってない言葉があって、それを3人で合わせて演奏してるっていうその時間がすごく楽しくて、バババババッといっぱい曲創ってみる、みたいな(笑)。

──そうか、形になること以前に、3人で音楽を鳴らしていること自体が歓びだったんだ。

山路:もう楽しくて仕方なかった。それに曲がついていったような感じですね。

──1stの曲は全部永松さんの詞曲によるものですよね。言葉は、どんなふうに生まれていきましたか。

永松:ん~と…歌詞をつけるなんてやったことないし、どうしたらできるんだ?みたいなとこからでしたね。その頃ちょうどコロナ下で、ずーっと家で考えてて。で、ほとんど家から出てなかったのに、コロナに罹っちゃって。罹患中の一番きつい時にギターのデータが届いたんですよ(笑)。でも、オリジナル曲を発表する場が、「高校軽音楽祭」っていうのが控えてて、それには絶対間に合わせたいと思ってたから、ひたすらベッドの中で考えて考えて考えて……その時はもう、何かにインスピレーションを受けるとかじゃなくて、自分が書きたいもの、このギターの速さ、コードに対してこういう言葉とリズムとメロディーでガーッと言いたいっていうところを突き詰めるような。あの曲は、いつも自分が遅刻してしまうことに対して書いた曲なんですけど、その遅刻してしまう自分っていうモチーフが浮かんでからは一気にガーッと書けたんです。で、そうやって初めて書いたもの、初めて人に聴かせたもの、初めての自己表現を、メンバーが“いいじゃん”って言ってくれて、迷いとかそれまでの失敗とかがちょっと救われた気がして…“あ、コレだ”みたいな、エネルギーが湧いてくるような感触があったのは覚えてますね。

──なるほど…自分の中の源泉を見つけたのかも。

永松:あ、そうですね。

──お話を聞いていると、やっぱり永松さんと山路さんの熱量は当初からずっと高いな、と。その二人の熱を受ける形で入った今橋さんは、どう受け止めてバンドに臨んでいったんでしょう。

今橋:僕は、ドラムには子どもの頃から興味はあって。叩く機会があったわけじゃないけど、叩きたいという欲はあったから、バンドに誘われた時はすぐ、入ります、と。叩くことが楽しくて、曲を創っていくことも楽しくて。二人の熱意が自分よりはるか上にあるから、それに追いつきたいという気持ちもありました。だから最初は、必死で二人についていく感じでやってましたね。曲を創る時も、最初は感覚、こう叩いたら気持ちいいかなみたいな感覚でやってて。でも、何曲も創っていくうちに、もっとこうしたら、ああしたらって試行錯誤するようになって…その辺りから意識は大きく変わりましたね。自分の中での音楽の価値観も、変わってきた。趣味じゃなくなったというか、真剣に、人生の一部としてやりたくなって。初めて自分が一生懸命頑張れるものが見つかったなっていう、ドラムも音楽もそういうものに変わってきました。

──16歳、17歳の頃に摑んだ人生の一部としての情景が、あの1stの音像なんだなと、今すごく腑に落ちました。なんというか…この時代に10代でバンドを選ぶ、しかもこんな剝き出しの音を選ぶって、やっぱり生半可ではできない。3人が音楽を以てそれぞれの人生に対峙していく瞬間を目の当たりにできていることが、個人的にとてもありがたいというか嬉しいです。

山路:たぶん3人とも、学校のクラスの中で言えば、めちゃくちゃ目立つ人でもなく、かといって一人ぼっちとかでもなく。…誰かと居るんだけど、でもなんかずっと独りな気がしていた…そんな3人なんじゃないかと私は思っていて。校舎もクラスも違ったんですけど、授業が終わってスタジオに行って、奏人心としてスタジオに入って、3人それぞれにやりたいことに突っ走って…真っ直ぐに見ている先が同じだったんだと思います。今でも思うんですけど、中学生の頃に家で独りでギター弾いてるのも楽しかったけど、それよりも楽しいことを今すごいやってる!って、奏人心を始めた時からずっと思い続けてるんです。

──そうやって、今をものすごいスピードで更新し続けているからこそできたのであろう2nd EP『風がゆく若色の街』について聞かせてください。リードトラックの『それがすべて』に綴られた《大学行く前 コンビニに寄る/フィリピン人店員がありがとうと言う/フィリピン語で私もありがとうと言いたい》というフレーズだけで、声高に叫ぶ共生や多様性の言葉よりもずっと大事なことが伝わるし、リアルなアティテュードが示されている。これがもう全てだなと本当に思ったし、全4曲を通してここまでの発展があることが驚きでした。

山路:ありがとうございます、それが伝わっていることがすごい嬉しい。2ndを出すことになって、田川のいいかねPalette(田川市/廃校を利用した多目的施設。レストランやキャンプサイト・宿泊設備のほかレコーディングスタジオも備える)というところで、中西さんとレコーディングのプリプロをやったんです。1日だけだったけど、朝から夜までずっとスタジオに籠って。1stを出してからライヴもいっぱいやって曲も創り続けてきて、今どんなふうに音が鳴っているのかっていうのを自分たちで聴いてみて、それからどう聴かせたいかを考えながら録っていって。だから、1stはとにかく弾く、いいと思えるところが見つかるまでやって、その瞬間をパッケージしたものだったけど、2ndは聴き手のことを考えて、この曲が人にどう伝わるのかっていうのを1stよりも強く意識した作品になったと思います。

永松:日頃から考えているものとかを曲と演奏でやり尽くして、で、その自己表現をちょっと俯瞰で見る、というか。そういう視点が持てたことが大きいと思います。もともと『それがすべて』はあげはが、『ユース・キャンドル』は僕が、それぞれの弾き語りライヴのために創った曲だったんです。

山路:秘密(ライヴハウス)で、私と有斗夢が対バンで弾き語りライヴに出たんですけど、一翔も観に来ていて。それでライヴのあとに『それがすべて』と『ユース・キャンドル』はバンドでやりたい、ってなりました。

永松:僕たちが創る曲の一貫したテーマみたいなもの、芯のひとつは、リアリティーで。曲にリアリティーがないと僕たちは、演奏してもその思いをちゃんと音楽として表現できる気がしない、というか。歌詞とかメロディーにしたものが、演奏の仕方とかライヴパフォーマンスにも繋がるんです。だからこの2曲は奏人心でやりたい、って。

──確かに、7/2にUTEROで観た奏人心のライヴも、作為的なものが一切感じられなくて、とても健やかですがすがしかったんですよね。音楽的構築はしっかりあるけれども、その言葉もメロディーもリズムも自身の心に沿うように鳴っていた印象が強く残っています。そのリアリティーをもたせるという点で山路さんはどういうところを意識していますか?

山路:私が曲を創る時はけっこうフィジカルではあるんですけど、イメージとしては、全部ひらがなで歌ってる気持ちで曲を創ってる、というか。自分がコードを鳴らしたときにスッと(自然に)出たメロディーが、聴く人にとってもスッと入っていくものだと思っているので、そこは動かさない。言葉も、そのメロディーに乗せて一番情景が浮かぶものというか…たとえば『それがすべて』だったら、コンビニのフィリピン人店員さんとの話とか思いは実体験、実際に感じたことだけど、“西通り公園”は福岡にはない。メロディーに合う語呂、情景が見える言葉を選んでいってますね。

──サウンド的なリアルさを感じるところでいうと、3曲目『フィールドアンドサンセット』、4曲目の『sin』なんかは、冒頭のギターの鳴り方とかアンサンブルのうねり、温度感がとても福岡産ロックだなあと。

山路:あれはもう、完全に出てしまっているんだと思います(笑)。スタジオで、3人で音を合わせながら創ることが多いんですけど、その時に各々の中にあるものが自然とあふれてしまっているというか。

永松:『sin』は苦戦した曲ですね。僕の曲はけっこう創るのに苦戦することが多くて。

──『sin』は今作の中では1stのパンクやガレージ感からの発展を最も感じさせる曲でもありますよね。

永松:そうですね。そういう曲の中でも、“歌”というのをちゃんと奏人心の武器にしていくことを考えて、こういう歌い方だったら、こういうメロディーだったら、と、今までの勢いを失わずにどうやって展開をカッコ良くするかだったり、気持ちを持っていけるかだったりを考えて…いろんな試行錯誤のうえで奏人心としての歌を出せたのが『sin』なのかなと思います。

──そんな本作とここまでの奏人心、そして現在地を見せる第1回福岡ワンマンライヴが、8月22日に迫っています。

山路:とにかく初ワンマンなので、楽しいだけのイベントではなく、奏人心の音に刺されてください、というそれぐらいの気持ちで、どう構成しようかと考えています。

──初ワンマンだから、長い時間のセットリストを組むのも初めてということですもんね。

永松:そう、だから、休憩入れるかどうかとかもすごく考えてます(笑)。

──ちなみに今、持ち曲数は?

今橋:14曲ですね。

山路:全部やってちょうど1時間くらいだと思います。

──逆に言うと、その1時間で現在の奏人心の全てを見られる、感じられる、と。

山路:そうですね。なので…刺さってください!

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LIVE INFORMATION

奏人心 第1回福岡ワンマンライブ 2025 “巻き起こる福岡の突風”

2025年8月22日(金)
福岡 The Voodoo Lounge

PROFILE

奏人心

永松有斗夢(Ba,Vo)、山路あげは(Gt,Vo)、今橋一翔(Dr)による福岡出身の3ピースバンド。高校在学中に軽音部で出会い結成、現在二十歳。UTEROをはじめ福岡のライヴハウスにて精力的なライヴ活動を展開中。高校在学中に、俳優・ミュージシャンの石橋凌が審査委員長を務める福岡県高校軽音新人コンテストでグランプリに輝き、2024年にはFM802主催MINAMI WHEELに出演。2024年11月に1stシングル『昼でも星は光って』を配信リリース、同月1st EP『SEARCH感受YOUTH』をCDリリースし、国内外で話題を呼ぶ。プロデュース・エンジニア・ミックスを担うnon-commital=PANICSMILE/IRIKOの中西伸暢を筆頭に、福岡ライヴハウスシーンの先達・精鋭もその活動をバックアップしている。