音楽の伝承と創造、昂揚の果てに───
いまを歌い未来を希う、ROTH BART BARONという光について。

ROTH BART BARON

取材/文:山崎聡美

音楽の伝承と創造、昂揚の果てに───<br>いまを歌い未来を希う、ROTH BART BARONという光について。

パンデミック下、人間活動を制限され、分断されたわたしたちは、今なお葛藤の渦中にいる。
噴出する不安と不満、世界を覆う不穏な空気に飲み込まれてしまわないように、ギリギリのところで抗いながら、できるだけ、今とこれからの世界の歓びを祈っている(それは無論、パンデミック以前から変わらない人類本来の祈りでもあるのだが)。


そんななかで、プリミティヴな魂の昂揚とフィジカルな熱量という音楽そのものの歓喜を、“小さき者”の目線で届けてくれる作品があった。昨年10月に発表された、ROTH BART BARONのニュー・アルバム『極彩色の祝祭』だ。美しいプリズム、イマジネイティブな極彩色。理想を現とするなら、どんなヘヴィーな現実においても思考を止めず、感情の扉を開き、想像と創造のしなやかなる翼を広げること───。本作『極彩色の祝祭』、ひいてはROTH BART BARONという音楽家の存在は、どうにもこうにも生きづらい、一寸先も見えないこの世界において、間違いなく光だ。


現在、延期振替公演を含めての全国ツアーを有観客&配信で開催中であり、今春4月、福岡と熊本でのライヴを控えるROTH BART BARON。バンドを牽引する三船雅也に聞いた、2020年と未来の話を。


──ちょうど1年前の九州ツアー以来ですが、リモートで東京にいる三船さんとじっくり話すというこの感じが、不思議です。


三船:そっか、いつも外交的な自分の状態、ツアーモードといいますか、(作品の)制作が終わってみんなに広めたい!っていう状態でお会いすることが多いんですよね。でも、実際は籠って制作してる時間のほうが多いので……人生半分以上は籠ってる(笑)。


──なんなら、籠ってる状態が平常なんですね。


三船:ですね。だから、バンドやってて不思議なのは、ツアーのときには外へ外へってアクティブなのに、創ってるときはもうひたすら籠って、スタジオの中で音の旅をする……内向きになるというか。ミュージシャンってそのふたつがすごく極端な仕事、生き方だなぁと思いますね。僕も、こうやって籠ってるときにお会いするのが、不思議な感じです(笑)。


──不思議と言えば、前作『けものたちの名前』のインタビュー時に、「自分の奥底のイノセントな部分に息止めて素潜りしていくような感覚があった」こと、「本来なら外へ向かうエネルギーが内に深く潜っていくことで、逆に、多くのひとたちと繋がれる何かがあるんじゃないかっていう確信が不思議とあった」ことをお話くださったんです。


三船:うん、うん。そうでしたね。


──そういった作品が、ひととひとが分断される事態になる前にあったことがよかったなぁというか、私はとてもうれしかったし、実際とても助けられました。ロットの作品はこれまでも、いわゆるディストピア的な世界において自分たちはどう生きるのか?ということを模索してきたわけで。決してその、幸せな世界から発信された音楽ではないというか。


三船:そう、ですね。そうだと思います。


──だから過去の作品は全て、その時点でも今も、とても効力があるわけなんですが、そんな作品を経て、今この事態の中で『極彩色の祝祭』という真新しいアルバムが、花が咲くような、原色の絵の具が飛び散るようなエネルギーをもって生まれたことが、必然、天命にすら感じたりして。


三船:いやいやいや……ありがとうございます。最近、ひとと会う機会がないから、こういうZoom上とはいえ直接の感想を伝えられることがあんまりないから、うれしいですね。


──だいぶ今さらですけどね、時期的には(苦笑)。でも今作リリース以降、少なくともオンライン上でのリアクションはどんどん大きくなってるように感じますが。


三船:あ~、そうですね、ありがたいことに。それこそ九州ツアーが延期になったりで新年早々へこんだりしてたんですけど、ちょうどその頃に蔦谷好位置さんがテレビ(テレビ朝日系列「関ジャム 完全燃SHOW」)で取り上げてくださったりとか、昨年ぐらいから予期しない角度からアルバムを褒めていただくことが多くて。なんか、時代はどんどん悲しくなるのに、バンドにとってはいいニュースが反比例のように増えていくという……素直に喜んでいいんだろうかみたいな複雑な気持ちにも最初なったんですけどね。それでもやっぱり、うれしいなと思って。コロナ真っ最中の頃も、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのGotch(後藤正文)がアワード(APPLE VINEGAR -Music Award-)をくれたり。それでさらに、多くのリスナー、まだロットを聴いたことがないっていう方にも届いたり……さっきの、前回のインタビューで僕が言ったこと、自分の奥底に入っていけば誰かに繋がるんじゃないかっていうのが、地で、1年経って還ってきたみたいな感じはしますね。

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──アーティストとしての純粋な歓びと困難と、それから、中原さんの脱退というある種の喪失と。三船さんの心身の中でそういったものがないまぜになりながら、発露されてアルバムとなった『極彩色の祝祭』を、あらためて振り返るような時間はすでにあったんでしょうか。


三船:ん~……年末にめぐろパーシモンホールでの大きな公演があったりはしたんですけど、でも結局、『極彩色の祝祭』のツアーとしてはまだ全然終わってないんで。すごいやった気になってるんですけど、半分くらいしかやってないんですよね(笑)。それを終える前に、僕がアルバムを振り返りたくないなっていう個人的な気持ちがあって。わざと、振り返らないようにしてます。なんか、アルバムの渦中にいないとステージが変わっちゃうなと思って。……まだアルバムの中に身を委ねていたいっていうのが、正直な気持ちであって。だから、こういうアルバムだったなとか、去年はこうだったなとかがまだなくて、僕の気持ち的には2020年をもう一度やってるみたいな気で生きてるんですよね。とりあえずその感覚で1ヵ月生きてみようと思って、それが2月になって今もまだ続いてる感じです。


──言われてみれば、2020年はあまりにいろんなことがうやむやすぎて、おわりもはじまりもなく続いてる感じもあります。この作品について言えば、アルバムの渦中にいて、まだ身を委ねていたいというのは、その楽曲はずっと進化し続けている状態とも言えるんでしょうか。


三船:あ、うん、そうですね。でもそれは、今の状況とか今作に限らないです。やっぱね、《歌》ってこう、たとえば蔦谷さんがあんなふうに解釈してくれたことで、テレビを観た多くのひと、ふだんロットを聴かないひとに広まったときに起きる化学反応とか、ライヴでやって初めて羽ばたくような何かとか……音楽ってリリースした後にどんどん形を変えて進化していくっていうか……たとえばすごく昔の曲が、TikTokでムードとしてすごく合うなんて理由で、音楽の文脈として全然関係ないところで、突然息を吹き返すことって、けっこうあったりするじゃないですか。1周回って、シティポップがブームになったりして、80年代や70年代がもつ東京のノスタルジアみたいなものが、海を越えてアメリカやヨーロッパの若者たちに、YouTubeを通して東京の夢を見させる、とか。何十年経っても音楽が形を変えて進化していくってことが、すごく起きる。ライヴ中に進化したりもするし。そういう意味で『極彩色の祝祭』も、まだまだ飛び立ったばっかりで、進化の過程にいて。そこで形を変えてる瞬間をゆっくり楽しみながら演奏したり配信したりして……そうすると、自分がまた寄り添ってる感じになるときもあるし、自分が思ってた方向と全然違う進化をしてるなって思ったりするときもありますね。


──「自分が思っていた方向と違う進化」とは、楽曲についての新しい発見というより、見る角度が変わるっていうこと?


三船:うん、角度が変わる、ですね。受け取るひとがいることで違う角度があることに気づくっていうか……日常でも起きてることだと思うんですけど、自分が当たり前に思ってたことが、受け取ってくれたひとには全然当たり前じゃなかったりとか。たとえば『極彩 | I G L (S)』のドラムビートは、ロットではごく当たり前のビートだったけど、それがすごく特別なビート、鼓動を感じるドラムだってすごくフィーチャーして受け取ってもらえたり。ロットとしてはずっと今までもやってきたことだから「いつも通りだな俺たち」と思ってたところが、そこが特別なんだって言ってもらえるのはうれしかった。そうやって曲が、また別の色を纏っていくっていうか。そういうのを、今は日々感じながら過ごしてる感じかな。

──なるほど……その「鼓動を感じるドラム」もそうなんですが、今作は、これまで積み重ねて獲得したロットらしさを色濃く感じるアルバムであると同時に、エネルギーの爆発力、聴くひとの身体への訴求力がこれまでの比ではないという感覚があります。それは、そうしたかったからなのか、自然とそうなってしまったものなのか、と。


三船:そうですね……どっちとも、あてはまります。そうしたかったっていうのもあるし、自然とそうなったっていうのもある。ライヴが、ドカンとキャンセルになって、まぁみなさんそうだと思うんですが、緊急事態宣言が東京では最初に出されて、とてもライヴとかレコーディングができる状況じゃなくなって。最初はまぁ、手足をもがれたような気持ちにもなったんですけど。……でも、アルバムの制作自体はできるな、と。いろんな媒体で言っちゃってると思うけど、ひとが集まれなくなって祝祭がなくなった世界で、それでも祝祭とかひとが集まって何かをするってこと自体の歓びは、2020年代になろうがひとの価値観が大きく変わろうが、そこだけは変わらないだろうっていう確信的な予感があって。で、その当時は、もしかしたら僕たちはもう一生セッションとかできないかもしれないっていう気持ちもあったので、人間が集まって、同じ空間で同じ空気を震わせることを、その音楽をちゃんとアルバムとしてレコード(記録)したものを、今の時代だからこそやるべきだと思って。それがこの『極彩色の祝祭』に対する僕のすごく強い信念とコンセプトで、そこに対してすごい情熱があったので。それが溢れ出ちゃったっていうのは、あると思います。だから、狙ってたし、出ちゃったし、みたいな(笑)。


──……それが、今作を聴いていてふとよぎる、岡本太郎的感覚の理由かもしれない(笑)。


三船:昨日もインタビューで岡本太郎の話、出たな(笑)。その感じってたぶんなんか……この非常事態の中で、ひとがどう取り繕ってカッコつけてても、言葉を丁寧に選び過ぎてしまっても、絶対に伝わらない何かっていうか。今ってある種、これまで必要とされてた多くの文明が全然役に立たないわけじゃないですか。丸の内に、ひとが効率良くビジネスをするために造られたビルディングがバーッてあるのに、肝心のひとは多く入れないっていう(苦笑)。


──張り巡らされた交通網も、使えないものになりましたね。


三船:そう、人類が何百年かかけて造ってきた都市、何千年もかけて造ってきた文明が、今全く役に立たなくなったと思うと、岡本太郎さんの解釈で言えば、人間の根源的な歓びとか、情熱とかエナジーこそが、今の僕たちに、あるいはちょっと先の僕たちに、ヒントをくれるかもしれないし。まぁ文明が発達してたからこそ、こうやってZoomで話すこともできるんだけど(笑)、それでもそれをするために僕たちを突き動かしているのは情熱だったりする。そういう変わらないところのほうを、北極星に、道標にするっていうか。こっちに星あるから、進む方角はこっちだなって思える感覚、昔から人類がもっていたものを使って音楽鳴らすのがいちばん、自分の中では腑に落ちたんです。それこそが今、多くのひとに伝わるんじゃないかっていうことを、メンバーとすごく話しながら、アルバムを創ってましたね。


──因みに、そのときに、音楽のアプローチとして、具体的なアーティスト名、作品名が挙がったりするようなことはあったんでしょうか。


三船:あんまり……何かすごい影響を受けたりとか、こういうアルバムを創ろうみたいなロールモデルはあまり今回なくて。何故かっていうと、今回ぐらいのパンデミックを体験してる音楽、そういう経験値をもった人類の音楽は現在あんまりなかったので、どの音楽も聴けなくなっちゃったんですよね。特にテクノ系の、元来すごく好きなんだけど、ノリだけがいい音楽とか全然聴けなくなっちゃって。言葉に意味がある音楽だったり、そのひとの人格が見える音楽だったり、そういうのばっかりを一時期は聴いてました。でも、誰もが体験していないことが起きてるから、既存の音楽でこういうふうにやりたいっていうのって、たぶん、自分にも響かないし、そういうものをリバイバルしても誰にも伝わらないだろうなって予感がすごいあって。だったら、まだ誰も生み出してないことにトライするほうが、すごい情熱をもってできるだろうってことは、よく話していました。「今まで自分たちが培ってきた音楽の感性を、素直に出してくれ。今俺はその人間性が見たいんだ」という気持ちがすごいあって、そういうことはメンバーにも言ってましたね。

▲ロットの2020年梅田シャングリラ公演や金沢21世紀美術館公演の配信を手がけた、関西の映像クリエイターチーム・OCTOによる『000BigBird000』。こちらもシャングリラにて撮影。

──強い信念、志のもとでのアルバム制作があった一方、5月には最初の配信ライヴを月見ル君想フでされましたよね。


三船:そうですね、緊急事態宣言が明けてからですね。


──あのとき、メンバーみんなが向き合う形、円になっての演奏でしたが、あれもお互いの顔を見つつ音を聴きつつ、自分たちが鳴らすべき音を確かめ合うような感覚だったんですか。


三船:うん、そうですね。……みんなゲッソリしてて(苦笑)。しばらくライヴなかったし、特にサポートのミュージシャンたちは、他の音楽の仕事も全部なくなっちゃってたし。音響チームのひとたちも、やっぱりライヴやって生きてるひとたちだから……もうね、全然違う人間になってて、あのときは。みんな、いろんなことが変わらざるを得なくなってて。なんか……映画の『猿の惑星』で、宇宙船に乗ってるうちに地球の時間が変わってて、帰ってきたら違う惑星になってた!ぐらい、みんな違う感じになってて。だから……うん、確かめ合うし、新たな“配信”っていうものに対してみんなで初めて肉体で触れ合うみたいな感覚もあったし。で、あのとき、iPhoneのアプリを使った実験的な映像の見せ方にもトライしてたんですよね。だからその、新しい実験が始まったワクワク感と、久々に会えたみんなとの「あぁみんな、生きてたなぁ」みたいな再確認とが同時に起きる、そんな状況で。円形になって、新しいことをしてるその感じが、なんだろ、新しい温泉っていうか、入ったことない未知の液体に足をそーっと浸すような感じでライヴをしてたのは、思い出しますね。でもその後、滝のようにライヴやったんで、それ以外はもうわかんなくなっちゃったな(笑)。


──仰る通り、あのライヴ以降、このパンデミック下で最も動いてたアーティストの筆頭じゃないかっていうぐらい、配信でも有観客でもライヴをされてました。そうやって動くからには、やっぱり動力となるものが必要なわけで、推進力というか。それは何か、最初のライヴの頃に見いだすものがあったのかな、と思ったんです。


三船:推進力、うん、必要ですね。推進力、なんだろう……。まぁ元々、嵐の夜とか好きなタイプなんですよ。台風来て、学校が休みになるかならないかみたいなワクワク感が、好きなんです。だから世の中がピンチになったときに、さぁどう生きてやろうかって(笑)、そこがちょっとモチベーションになったりしてるところはあるけど、もちろん実際にひとが苦しんでるわけだからそういう状況はないほうが絶対にいいんだけど……なんだろうな……でも元々、コロナウイルスがないときも、僕らの世界ってだいぶ狂ってたし。


──確かに。それこそ最初に言いましたが、ロットはしっかりとこの世界をディストピアと見てました。


三船:今(コロナウイルスの出現で他が)見えなくなっただけで、元々問題は山積みで、今までの世界が、俺たちが生きやすいようにデザインされてたかっていうと絶対されてないし。“Black Lives Matter”が起きる前から狂ってたし……いまだに、女性と男性は平等じゃないし、ゲイは結婚できないし、人間としての当たり前の価値が許されない世界で俺らはまだ暮らしてて。なんていうの……あの、こないだ買ったヨーグルトに、メーカー名は言わないけど(笑)、パッケージ開けたら“働きがちな日本人のお腹に!”って書いてあって。それを見たときに、じゃあ日本人以外は食うなってことなのかな、って。ナチュラルに、そういうコピーを入れちゃう国じゃないですか。なんかもう終わってんなって感じるし、もうヨーグルト買わなくなるんですよ、その時点で(笑)。そんなふうに、問題山積みのまま。だから、モチベーションはあんまり変わんないっていうか。


──そうですね、その生きづらさと真っ向から対峙していますね、ロットはずっと。


三船:高校時代も、学校というシステムがすごく嫌なタイプで。四角い教室で同じ服着て、マシンのように同じこと習うっていうこと自体にすごくクエスチョンがあったし。いろんな理不尽と、たぶんみんな子どものときから向き合ってたはずで。だから、コロナウイルスって自然だからまだマシっていうか。人間が産み出したこんがらがったシステムのほうが、よっぽど解決しないことはたくさんある。ずっと、そこと対峙するために、それがあるから音楽始めたところもあるし。そこに対して何か自分ができること、音楽をやることで世界が少し変わるんじゃないか、ていうか変えたいなって思って、たぶん、17歳ぐらいの俺は、作曲を始めたんだと思うんですけど、それで今までちゃんとやってこれたしね。だから、コロナだから特別こうなったっていうことじゃなくて、コロナになっても今まで通りのパッションが、結果的に続いてるっていう話だと思うんですよね。だから僕らが向き合わなきゃいけないことはウイルスによるパンデミックだけじゃなくて、他にたくさんあって……いろいろやんなきゃな、って。そういうことは常に考えてるし、なんか、コロナ終わってからの世界のほうがすげー大変だなって思うし。で、そう考えると、音楽止める、今ライヴやめる意味がわからないというか。だからライヴ増えたのは、まぁ当然ていうか(笑)。こんな状況でもできる限りのことはやりたいなっていうのは、個人的には思ってました。


──パンデミックの先の困難を見据えるから、今の行動、活動がある、と。


三船:うん、だって、こうやってインタビューも、東京と福岡でつないでお話できるのって、去年は考えてもなかったし。10年前、スマートフォンでAmazonで買い物してるなんて誰も思ってなかったじゃないですか。それぐらい、10年ごとにガラッと世界が変わるんだとしたら、なんていうのかな……その変わりゆく世界にどうやって音を鳴らすのかを、ちょっと先の未来、半年先とか3年先とかを考えて、ずっと音楽やっていきたいなって思う。たぶん、コロナが完全に終わるのって、リアルに10年後ぐらいだろうなって気持ちで、じゃあお客さんが安心して観られる状況をアーティスト自身が作ることは絶対にマストだし、誰かが何かをやってくれるのを口ポカンと開けて待ってるっていうのも「どうなの?」って思うし。


──今の話を聞くと、4月の福岡と熊本公演、ますます期待しかないですが、今回のツアーでは東京だけとかじゃなく全箇所でライヴを配信とセットにしてやることに意味がある、というような三船さんの発言をある記事で読んで。全箇所で配信する意義というか、何故そう思われたのかな、と。


三船:あ~、それは、そうですねぇ……んーと、リモートの限界、みたいなのがまずあって。今こうやってZoomで話してて、こんなにテクノロジーが発達してても、ここで見てる画面の、まだ何百年前から続く江戸時代の瓦版みたいな(笑)、二次元のペラペラな俺たちが顔合わせてるって絶望感、ヤバいじゃないですか。ここまで来てもまだ二次元なんだ、16世紀かよみたいな感じになるじゃないですか(笑)。


──それはもう、悲しいくらい感じますね(笑)。


三船:でも、逆に言えば、実際に生で会ったときの情報ってものすごい量があるっていうことなんですよね。人間が全身で感じるものの欠落感ってけっこう僕らには大きいなと思って。僕らがツアーをしてるっていうのはその欠落感を埋めることなんです。そこをちゃんと表現するためには、ツアー14公演全て配信するのを止めないことが、自分の中ではすごく大事なことで。今後のプロセスのためには、“1公演だけ配信でも観てもらいました、終わり”っていうだけじゃ、たぶん経験値は全然得られない。ネットはひとを繋ぐけど、実際に会うまでのプリプロだっていう側面もあって。その二軸を生かして、デジタルとアナログをちゃんと繋ぐものをツアーとして生み出していくってことをやるために、たぶんそういうふうに言ったんだと思います。画面を通してライヴを観てるひとたちの感覚値まで、自分が経験できるようになるには、やっぱりたくさんの数をこなさないと、ミュージシャンとしての成長はないだろうっていうのはすごく思っているので。


──そうか、そっちの、オンラインで観てるひとの感覚を知るための経験値。それを得るための全箇所配信、なるほど。ライヴでの目の前の観客に対してだけじゃなく、オンラインで観てるひとに対して自分たちはどう在るべきか、どういう演奏が必要なのかをより知るためということですね。


三船:そうなんですよ。今までって、ライヴ会場の中にいるひとたちにどう響かせるかみたいなところにフォーカスして演奏してて。たとえば、大きいフェスとかでちょっとだけ配信するとかコロナ前までも時々あったじゃないですか。そのときに、配信先で観てるひとのこと考えて演奏してたミュージシャンって、どれくらいいたんだろう?って考えて、ほとんどいないだろうって思ったんです


──ですね、配信そのものがオマケみたいなものでしたし。


三船:そうそう、“ついで”だったから。だけど、その会場の外にいる、世界中のひとのことを考えて演奏しなくちゃいけなくなって。そういう考えをもってツアーでライヴを重ねていくと、なんかね、演奏する側からすると、スケール感が全然違うんですよ、演奏しながら考えてることとか情報量とかの。だからけっこう、最初の頃とか身体が慣れなくて、ヘトヘトになっちゃって。カメラの先の出会うべきひとたちのことを考えて、今までよりすごく広い視野で演奏しなきゃいけない、実際の空間以上の空間を把握しなきゃいけない、っていう。


──想像すると、すごい果てしないというか……壮大ですね。


三船:(笑)。そう、すごい果てしなくて壮大なんですよ。なんか、千利休じゃないけど、茶室から宇宙へ、みたいな。二畳の茶室で宇宙が見える、そういう世界で演奏しなくちゃいけなくて。そこはねぇ、やっぱり数をこなさないと成長しないんですよね。そこを去年できたのは大きかったし、たぶん、なかなか体力があるバンドに仕上がった……と、思います(笑)。


──実際、世界中の、地球上のひとたちに向けて演奏するという覚悟をもつだけでも、いろいろ変わるのかも。


三船:うん。ドメスティックのライヴでも、アメリカやドイツのひともいればシンガポールのひともいて、インドネシア、台湾のひともいて。“ここにいるのに、ここだけじゃない”っていう、そこはね、このコロナの世界でひとつ、すごく希望があったなあって、今のところは感じられてるんです。


──それもまた、前作の取材時に仰っていた「みんなで繋がって何かをしないと、世界がいい方向に転がらないってことを本能的に嗅ぎ取って、そうせざるを得なかったのかもしれない」という危機感や音楽の本質的な役割っていうところに帰着するような、そんな気がします。


三船:確かに。ただ、あのときは、コロナウイルスじゃなくてテクノロジー的なこととか政治のパワーバランス的なところで、世界の価値観がガラッと変わったりするかもしれないとすごい思ってたので……『けものたちの名前』でそこをやっておかないと、世の中はどんどん荒んでいくんだろうなって気持ちがあったんですよね。で、今コロナの世界になって価値観が変わったことによって、個人的な興味としては、今の10代とかの学校にいる子たちが、他人に触れることが自分の死につながるって大人から言われ続けて育っていく世代が、なんか、ちょっと心配っていうか。どうなっていくんだろう、余計にタフだなって思う。これから触れられないまま他者を信用するようになるのか、また触れられる世界をつくるのかわかんないですけど……トラウマをもってしまったであろう彼らに対して、俺はどう音楽を鳴らせばいいんだろうっていうのは考えます。大人からずっと言われ続ける言葉って、フックのように心に引っかかり続けるから。その針をどうやって……まぁ抜くっていうか、溶かす……身体に取り込むっていうのか……そういう作用にまで、どういう歌を歌えばもってけるかなぁっていうのは、寝る前とかに漠然と考えてますね。

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LIVE INFORMATION

ROTH BART BARON Tour 2020-2021“極彩色の祝祭”振替公演

2021年4月8日(木)
博多百年蔵
2021年4月9日(金)
福岡 the voodoo lounge
2021年4月10日(土)
熊本 早川倉庫

PROFILE

ROTH BART BARON

(ロット・バルト・バロン)

三船雅也によるフォーク・ロック・バンド。1987年生まれ、東京出身。フォークミュージックをルーツに、世界中の多様な音楽からインスピレーションを得ながら、独創的な作品リリースと国内外での精力的なライヴ活動を続ける。1stアルバム『ロットバルトバロンの氷河期』(2014)、2ndアルバム『ATOM』(2015)、3rdアルバム『HEX』(2018)と、作品を発表するごとに支持層を広げながら多くの音楽媒体で高い評価を獲得。2019年には傑出の4thアルバム『けものたちの名前』をリリース。全国ツアーはもとより、バンド史上最大規模となるめぐろパーシモンホールでの公演を敢行、当初の2020年5月から12月に延期開催を余儀なくされながらも、大成功を収めた。2018年、ロットバルトバロン・コミュニティ【PALACE】を立ち上げ、無料/有料でインタラクティブに参加できるプラットフォームを運営。なお、2020年7月、三船と共にROTH BART BARONを創造してきたドラマー・中原鉄也が脱退。以降、西池達也(Key/Ba)、岡田拓郎(Gt)、竹内悠馬(Tp/Key/Perc)、大田垣正信(Tb/Key/Perc)、須賀裕之(Tb/Sampler)、工藤明(Dr)を中心とした強靭なサポートミュージシャンと共に、制作・ライヴ活動を行なっている。