『無限のHAKU』[DISC REVIEW]

ROTH BART BARON

『無限のHAKU』[DISC REVIEW]

フォークミュージックのリレーションを以て、
音楽の創造/想像性に託して、
本作を丸ごと懸けて起こす蘇生と解放。

なんだろう、この澄明感は。

最初に『Ubugoe』を聴いたとき、心底驚いたのだ。三船の歌も、奏で鳴らされる多彩な楽器も、互いを包み込み、溶かし合い、解け合うように、澄んだ音像を成していく。“真っ白なキャンバスに自由に描く”ことさえ今ほど難しい時代はないというのに、ROTH BART BARONはまるで、数多の不条理やひとびとの不安も苦悶も飲み込み自らフィルターとなって浄化し、澄み渡る真っ白の大地へと還してしまったかのようだ。

前作『極彩色の祝祭』から約1年、この状況下で1年毎というコンスタントなアルバムリリースを続けていることがそもそも驚異なんだが、ロットのニュー・アルバム『無限のHAKU』はなお驚くべき創意に満ちている。前述の『Ubugoe』を幕開けに、全11曲(+ボーナストラック:霓と虹 -Rostam Remix-【ヴァンパイア・ウィークエンドの創設メンバーであり、ハイム、フランク・オーシャン、ソランジュらのプロデューサー / 作曲家であるRostamによるリミックス音源】)を収録。アイナ・ジ・エンドとのA_o名義で発表された『BLUE SOULS』もロット・バージョンで収められた。思いや希いを共有する頼もしいプレイヤーらとのソウルフルなアンサンブルをベースに、広く多様な音楽性や即興的な音色を柔軟に取り込みながら、核には“folk music”としての歌の求心力が圧倒的に在り、その歌によって自然発生的に引き出されているのであろう音たちの、なんと有機的で慈しみに満ち、清冽であることか。

今年の春先に行ったインタビューの最後で、三船が語っていたのは分断された時代を生き抜かなければならない世代への憂いだった。

今の十代とか、他人に触れることが自分の死につながるって大人から言われ続けて育っていく世代が、どうなっていくんだろうなって思う。トラウマをもってしまったであろう彼らに対して、俺はどう音楽を鳴らせばいいんだろうっていうのはすごく考えます。大人からずっと言われ続ける言葉って、フックのように心に引っかかり続けるから。その針をどうやって……抜くっていうか、溶かす……身体に取り込むっていうのか……そういう作用にまで、どういう歌を歌えばもっていけるかなぁっていうのは、寝る前とかに漠然と考えてます

あのとき、三船の頭の中ではすでに本作のイメージが朧げにも生まれつつあったのだろう。『Ubugoe』で《どこへ 行けば 僕ら 笑えるだろう?/どこへ 行けば 生きていられるだろう/どこまで 行けば 許してもらえるだろう》と寄る辺を失くした心の虚空を歌い、『みず / うみ』では《柔いこころ 張り裂けてしまったら/傷口から 翼が生えて 仕舞えばいい/透き通った みず / うみを 抱きながら/僕らは かたちを もう一度 作ろう》と消えない傷の蘇生、痛みからの解放を祈る。そして、本作のタイトルにもつながる『HAKU』では、普通と違うものが排除されひとびとが分断され続ける世界において、《人に触れるのは/とても怖いことだろうか?/それでも僕らは/誰かに触れたいと願うのだろう》とその深い悲しみに心を寄せて、《君の血は 何色だい?/何色にも 変えてやるよ/形を 変えてゆけ/新しい血の色で》と既存に寄るのではなく新たな色を生み出せる可能性を示唆する。ロットは、フォークミュージックのリレーションを以て、さまざまな音楽の創造/想像性に託して、本作を丸ごと懸けて、癒やしと蘇生と解放の作用を起こしているのだ。

ラストに収められたのは『鳳と凰』。この曲が公開されたのは前作のリリースツアーが終わって間もない頃、唐突に発表されたと記憶している。あのときはロットが踏み出す地平への道しるべ、あるいは兆しとして捉えていた楽曲だったが、今アルバム全編を聴いてつくづく思い知る。様々な生物種の姿形を持って、大空に向かって五色の羽を広げるこの鳳凰の姿=《こころを燃やしたい/“本当のことば”を探して/夢を見るために/夢を生み出すんだ》と謳われるこの曲こそ、蘇生を果たしたわたしたちの在るべき姿なのだ、と。(山崎聡美)

SHARE

PROFILE

ROTH BART BARON