熱狂を超え、約束の地へ。
高らかに響く“俺たち”の歌。
a flood of circle
取材/文:なかしまさおり
INTERVIEW

昨年8月、約10年ぶり、2度目となる東京・日比谷野外大音楽堂でのワンマン・ライヴを大成功のうちに終えたa flood of circle。その熱狂を肌で感じながら完成させた最新アルバム『WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース』を携えて、彼らは今日も加速し続けている。2026年、“結成20周年の日本武道館公演”へ向けて今、思うことのあれこれを佐々木亮介(Vo,Gt)に訊いた。
──前回のインタビューは、EP『CANDLE SONGS』が出た後の全国ツアー<デビュー15周年記念ツアー”CANDLE SONGS -日比谷野外大音楽堂への道-“>が始まったばかりのタイミングでした。今回のアルバムは、そのツアーと並行しながら、また、最終的には昨年8月の野音(公演)を挟みながら制作されたとのことで、その様子は公式特設サイトのセルフライナーノーツにも掲載されています。印象としては、前作以上に(気持ちや視線が)“外へ”向かっているように感じられたのですが、その過程において“野音”というのは、やはり大きい存在だったんでしょうか?
佐々木:そうですね。ホントは野音の前に(アルバムが)出来てるはずだったんです。でも、出来なかった。だから、予算や納期のことを考えると(胸を張って“そうです”とは)言えないんだけど、結果的には(そうした流れがあって完成するのが)いちばん自然だったのかなとは思います。もちろん、最初から(野音でワンマン公演をやることに対して)自信があればいいですよ?でも、シンプルになかったし、特に動員に関しては、かなり不安なところが多かったから。…ただ、実際に(チケットが)売り切れてみると、(その光景は)やっぱり最高で。多分、それが“外に向かってる”って感じにもつながってるんじゃないのかな。
佐々木:ただ、もともと、そこに至るまでの想いは全部、(野音でいち早く披露した)『虫けらの詩』に“込め切った”と思ってたので。正直、“もうこの曲以上に言いたいことは何も無いな”ってなってたんです。でも、実際には、その(野音の)後に(歌詞が)書けた曲があって。きっと野音を演ってなかったら、こんなふう(なアルバム)には、なってなかったなと思います。
──今作は山小屋でのレコーディングもトピックの一つとなっています。
佐々木:うん。話はちょっと長くなるんですけど、順序として、まず考えたんです。“結成20周年に(日本)武道館で(ワンマンライヴを)演る”と言った。言ったら今度は欲が出てきて、そのためには“売れなきゃダメじゃん!”と思い始めた。でも、“売れる”っていっても、闇雲に売れたいわけじゃなくて、できれば“自分たちにふさわしい売れ方で”売れたいと思って。じゃあ、どうする?って。
で、(俺たちがやろうとしてるのは)東京ドーム(公演)じゃないよなって。だったら(必要なのは)エンターテインメントとしてのクオリティじゃなく、いま何に悩んでて、この後どうやって生きていくのか。いま(バンドで)微妙に食えてるけど、これからもずっとエンジン(を)掛け続けられるのか?っていう、中年に入ってのリアルな悩みをちゃんと出していくことなんじゃないかなって。
そんなことをずっと考えてたら、今度は完成度が高いとされてる(アーティストの)ライヴを見ても、どんどんつまんなくなってきちゃって。これが俺の嫌なところなんだけど、本当にこれ(本人たちが)面白くてやってるのかな?とか。自分(たちのライヴ)も含めて、これロックなの?いや、そもそもロックってなんだっけ?みたいなことまで思い始めた(苦笑)。
で、最終的に行き着いたのが、“本当に自分が考えてること”を言うのは、やっぱりすごく難しいということ。とくに俺なんかは(バンドマンとしては)かなり常識型なので(笑)。(本当に言いたいことがあっても)そこにすぐ蓋をしちゃうことが多いんです。それで、結局いつも“こんなもんでしょ”みたいな曲になっちゃって。だったら、それを無理やりにでも引っ剥がさなきゃダメなんだろうなって。そこで、思いついたのが山だったんです。
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そんな山小屋でのレコーディングに共同制作者として招いたのは、“メンバー全員が尊敬する”高野勲氏。昨年7月、福島県須賀川市のキャンプ場に機材を持ち込み、まずは『WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース』、『虫けらの詩』、『ひとさらい』、『Eine Kleine Nachtmusik』、『D E K O T O R A』の5曲を録音。その後、日を改めて都内のスタジオで(既発の『ゴールド・ディガーズ』、『キャンドルソング』を除く)『ファスター』、『ベイビーブルーの星を探して』、『屋根の上のハレルヤ』、『11』の4曲を4人だけでレコーディングしたという。先述のセルフライナーノーツによれば「”虫けらの詩”以外は全て歌詞がない状態で録音」。その後「何度も締め切りを過ぎ、悩み続けて、9月まで」“歌詞”と“歌入れ”の作業が続いたと記されている。
かくして最新アルバム『WILD BUNNY BLUES / 野うさぎのブルース』が完成。とくにM1からM5、M6からM8は、驚異の曲間ゼロ仕様で、キラー・チューンを連発。息をもつかせぬジェットコースター的展開で、リピート必至の全11曲が収録されている。なお、各エピソードについては、すでに他の媒体でも、その多くが語られているため、本稿では、いくつかのトピックに絞って構成する旨、あらかじめご了承いただきたい。ただ、その前に一つだけ。ご存知の方もいるかもしれないが、M5と並び、佐々木ソロ曲にも通じる柔らかさとユーモア性に富んだナンバー『ベイビーブルーの星を探して』には、我が九州に関連するエピソードがあるという。件の“何度も締め切りを過ぎ、悩み続けて”いた時に、「完全に気持ちが逃げてた」佐々木。「(曲と)向き合うのが無理」との理由で、ある日、飛行機に飛び乗り「鹿児島へ逃げた」のだと言う。つまり<君を逃がすソラシド>は、実際には「俺を逃がすソラシド(エア)」だったとのことで、見事な(?)オチがついている。九州・鹿児島の方々には、ぜひ曲を聴き返してもらいつつ、愛あるツッコミを入れていただければと思う(笑)。
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閑話休題。
──個人的には『D E K O T O R A』と『屋根の上のハレルヤ』で見えた景色、その“バンドとオーディエンスの関係性”が最高だなと感じました。まずは『D E K O T O R A』。これは“あの”デコトラ*で、いいんですよね(笑)?
佐々木:そうです、“あの”デコトラです(笑)。どうしてかはわからないんですけど、この曲は最初から“乗り物(のイメージ)”だなと思っていて。でも、世の中には、バイクの歌も車の歌もいっぱいあるから、どうしようかなと思ってたんです。絵的には、“爆薬積んでるトラック”でも良かったんだけど、トラックだとちょっと真面目すぎるような気がして。デコトラだったら笑えるかもなと。しかも、歌詞は実写じゃないから、いくらでも妄想でデコレーションできるじゃないですか?だったら、他のどこにもないMy versionのデコトラが書けると思って、デコトラにしました。それに、もともと外国の人にもわかるような言葉で、できれば、タランティーノ*の映画で流れててもいいようなモノにはしておきたいなと思ってたので、そういう意味でもピッタリでした。
──だからローマ字で“D E K O T O R A”なんですね。確かに外からみたCOOL JAPANって、こういう感じなのかもしれないですね。加えて、私がいいなと思ったのは、そのイメージの書き出し(“何を載せようか”)あたりからずっと、言葉だけじゃなくサウンド面でも、いわゆる“かかった”状態のまま、ラストを迎えるところなんです。さきほどの“いろいろ考えすぎてライヴがつまんなくなっちゃった”という話にも少し似てるんですが。もともと何が味わいたくてロックバンドのライヴに行ってたんだっけ?と。少なくとも自分にとっては、MCがどうとか、客の入りがどうとか一切関係なくて。ましてや、そこでの感情を家にわざわざ持ち帰って反芻するようなものではなかったなって。そういうことを、この曲の持つ、どこか宗教めいた怪しさとか洗脳感、不思議な恍惚感と一緒に思い出しました。さながら“a flood of circle教”とでも言うんでしょうか、理屈じゃ説明できない感じが、この曲の中には渦巻いているような気がします。
佐々木:確かに。あぐらかいて、ちょっと宙に浮いてる感じ?でも、それは多分、勲さんがシンセの音とかを結構入れてくれたおかげなのかもしれないです。でもそっか、“a flood of circle教”か…いいですね、それ(笑)。次のビデオは新興宗教をテーマに作ろうかなぁ。
──(いろんな意味を込めて)大丈夫ですか(苦笑)?
佐々木:多分。(レーベル的には)“笑えれば”OKなんじゃないかな。今までも、あんまりいろいろ言われたことないし。だって俺、意外と常識型なので(笑)、(他の人よりは)コンプラ云々に対しても、そこまで息苦しさを感じていないんですよ。むしろ、(そういう規範の中で)矛盾せずにやれるポイントって、まだまだ残ってるような気がするので。例えば、リバティーンズとか昔のビートルズとか、そういう人たちに憧れて、同じようなことをやっちゃう人も中にはいるかもしれない。でも、俺は(その人たちと)同じようになりたいわけじゃなく、やっぱり“自分”の方が可愛いんですよ。だから(破滅的なことは)やらないし、やったとしても、せいぜい何かをブチかましに“山”に行くだけ(笑)。世の中にはきっと、俺と同じで、“自分”について悩んでる人も多いと思うんです。でも、俺はその人たちより、ちょっとだけ勇気があるからロックバンドをやってるだけで、基本、一緒なんですよ。いろんなものに蓋をして、我慢して、なんとか生き延びようとしてるって意味では。ただ、ロックバンドとしては、そこを無理やりにでも引っ剥がして、“いかに自分のまま死ねるか”ってことを歌にしていくしかないのかなって。
──だから、亮介さんの歌には「は」より「が」のほうが多いのかもしれませんね。『月夜の道を俺が行く』(2023年)なんかは、まさにそうで。今作でも<俺がここで歌ってる>(『虫けらの詩』)とか、<俺たちが歌うから>(『屋根の上のハレルヤ』)と書いてらっしゃいます。普段、日本人が“日本語的な文法”を意識してしゃべるってことは、ほとんどないと思うんですが、実際には助詞に「は」をとるか、「が」をとるかで、いちばん伝えたい部分が変わってくるんです。
──たとえば「俺は歌う」だと、“歌う”ことに重きを置いた言い方ですが、「俺が歌う」だと、重要なのは“俺”。“他の誰でもない俺”が歌うってことが大事なわけで、これは、さきほどの“いかに自分のまま死ねるか”って話にもつながるような気がします。
佐々木:確かに。
──だとしたら『屋根の上のハレルヤ』は、“俺が”じゃなく、“俺たちが”と歌っているのも、すごく頷ける話で。それが武道館なのか、野音なのかわかりませんが、ファンの方々と声を合わせ、力強く歌い上げる姿がとても鮮やかに立ち上ってくるような気がするんです。それこそ、レーベルの先輩でもある怒髪天の歌にも通ずるような包容力。もちろん、表現の仕方は違いますが、あぁ亮介さんもいよいよ40(歳)が近づいてきて、こういう気持ちになってきたのかなぁと。いろいろ想像したら余計にグッときて。人は皆、“ひとり”だけど、せめてここにいる間は、この曲を聴いているときだけは、“ひとりじゃ無いよ”と言ってくれる、そんな大きな力を感じました。
佐々木:ありがとうございます。確かに、前は、若いバンドマンとかに“好きです”とか言われても、“へー”って感じで終わってたけど、今は“なんか奢るか!”みたいな気持ちにもなったりして、ちょっとした変化はあるような気がします。歌詞についても、書いたのが野音の後だったので。正直、あの光景を見て思ったことが、多少なりとも入っちゃってるのかなと。だから余計に、最初はちょっと抵抗があって。<俺たちが歌うから>と書いてはみたものの、“ほんとにそう思ってる?”って何度も自問自答して。最終的なハンコ(=OKサイン)を押すまでに、かなり時間がかかりました。だって、野音だけじゃないですからね。野音までに演ったツアーや他の街でのライヴ。それらすべてを経ての“今”思ってることでもあったので。…ただ、最終的には、この後にテツ(Gt.アオキテツ/作詞作曲)の『11』が入って、すごくいい形でロックバンドにしてくれたし、本当によかったなと思いましたね。
──“結成20周年に日本武道館公演をやる”。その約束も、気づけば来年に迫ってきました。
佐々木:そうなんですよ。『ゴールド・ディガーズ』の歌詞を(今作で)更新した時は<2年後>だったけど、(現時点では)もう来年。(具体的な日時は)たぶん今年のどっかでわかると思うんだけど、今はそこに向けての作品作りを進めているところです。それこそ、“武道館、武道館”って言ってるけど、その日のためだけに特別な練習をして、なにかスペシャルなことをやろうとは思ってないので。俺としては、あくまでもシンプルに、“その日の自分”でやりたいなと。だから、今は、普段から“何もしない”っていうのをずっと言ってて。(フロア)モニターも置いてないし、照明も“つけっぱなしにして”って。なるべく他の手助けや準備がなくてもできるようにしておきたいんですよね。カッコよく言えば、“今”を試されちゃう状態にしておきたい。ただ…やっぱり“欲”がね(笑)。“武道館とか言うんだったら、もうちょっと売れそうな曲、書いたほうがいいんじゃない?”、“いや、これはこのままで行きたいんだよ”、“でも、そうやって作った曲が、案外いい曲だったりするかもよ?”みたいなね、自分の中での会話を何度も交わしながら、悩んだり、楽しんだりしているところです。
──5月には、おなじみのLIVE HOUSE CBでの福岡公演も控えています。
佐々木:“ロックンロール”って言葉は俺にとって、いまだに、なんだかわからないのに毎日のように唱えてる呪文みたいなものなんです。それをカタカナで言い出したのは、やっぱり鮎川(誠)*さんをはじめ、福岡(出身)のレジェンドたちだと思うので。そんな方々のポスターもいっぱい貼ってあるCB、またそこで演奏できるっていうのは、嬉しい反面、ホント、ヤベぇなって。今日めちゃくちゃ頑張んなきゃダメじゃん!って。思う場所でもあるんです。まぁ、自分で勝手に比べて落ち込んでもしょうがないけど(笑)。たぶん、それが“燃える”ってことだとも思うので、今回もすごく楽しみにしています!
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今作の取材を通して、あらためて気づいたことがある。それはa flood of circleが(いや、佐々木亮介が?)決して、歌わないものがあるということ。もちろん、単語自体はこれまでも一度と言わず二度三度、登場したし、これからもするだろう。ただ、彼らはそれを望んだり、美化したり、ましてや約束したりしやしない。<永遠について考えるのはいつも/永遠に続かないものに気づく時だけ>(『The Cat Is Hard-Boiled』2012年)。13年前、佐々木は歌った。それを踏まえて、もう一度、本作10曲目の『屋根の上のハレルヤ』を聴いてみてほしい。見える景色は彼らと、彼らを見上げるオーディエンスたちか。互いが“ひとり”であることを自覚した上で歌う“ひとりじゃない”の、かくも美しき響きと強さに気づくだろう。永遠を歌わない彼らであれば、なおさら、その純度と、そこに聴こえる“確かな今”が、とんでもなく信頼に値するものだということがきっと伝わってくるはず。佐々木は歌う。<たったひとつわかってる/今は今しかない>(『見るまえに跳べ』2012年)。何年たっても変わらず歌う。<歌を聴かせてくれ/今は今しかないんだ/歴史が残さない今だけの歌を>(『火の鳥』2020年)。そう、だから大丈夫。まだまだ世界は君のもの。これからも彼らは何度だって“今”を歌うはずだから。
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*デコトラ …Decoration Truck(デコレーション・トラック)の略。1970年に一大ブームとなった特殊な装飾や塗装を施した大型トラック。愛川欽也と菅原文太の映画『トラック野郎』シリーズも大人気作に。
*タランティーノ …クエンティン・タランティーノ(Quentin Jerome Tarantino)。アメリカの映画監督/脚本家/俳優。『パルプ・フィクション』、『キル・ビル』など代表作多数。親日家としても知られている。
*鮎川誠 …1970年代から日本のロックシーンを先導してきたシーナ&ロケッツのギタリスト。2023年1月29日逝去。
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LIVE INFORMATION
PROFILE
a flood of circle
佐々木亮介(Vo,Gt)、渡邊一丘(Dr)、HISAYO(Ba)、アオキテツ(Gt)。2006年の結成以降、常に不屈の精神で自らの進む未来を更新し続けているロックンロール・バンド。公式YouTubeチャンネルでは、現在、テイチクオンラインにて限定販売中のBlu-ray『a flood of circle15周年記念公演“LIVE AT 日比谷野外大音楽堂』のダイジェスト映像ほか、これまでのさまざまなライヴ映像、個性あふれるMVなどが視聴可能。まだライヴに足を運んだことのない方は、ぜひチェックして、その熱い空気に触れてみてほしい。なお、読書好きには『月面のプール』を主題歌とした小説「よるのばけもの」(著:住野よる)や『Honey Moon Song』を引用した小説「告白撃」(著:住野よる)。主人公が作中『理由なき反抗(The Rebel Age)』を歌うシーンが登場するマンガ「ふつうの軽音部」(作:クワハリ/出内テツ)などもオススメ。いつもとは違った角度からフラッドの魅力が確認できるかもしれない。また、ドラマ好きには今をときめく実力派女優・河合優実が出演した『Center Of The Earth』のMVを、さらにさらにお笑い好きには、いろんな意味で個性ダダ漏れの漫才師・金属バットが出演する『如何様師のバラード』がオススメ。ぜひ、併せてチェックしてみてほしい。